出雲半分城(塩冶氏に関係した城?)

●出雲半分城
住所:島根県出雲市上塩冶町半分
駐車場:なし
遺構:曲輪、堀切、土塁、空堀など
標高:64メートル/比高:51メートル

 文献や伝承がないため詳細は不明だが当地を支配していた名族・塩冶氏に関係した城だと思われる。昭和53(1978)年の発掘調査で石臼、釘、土器(かわらけ)などが出土した。主郭にある土塁などは侵攻してきた毛利氏の改修の可能性があると考えられている。

(主郭)
主郭

主郭

主郭

(主郭の土塁)
主郭の土塁

(主郭から見た北側。遠くに出雲ドームが見える)
北側

(主郭から南に一段下にある曲輪)
一段下にある曲輪

一段下にある曲輪

(主郭の北の切岸と曲輪)
北の切岸と曲輪

北の切岸と曲輪

(東の曲輪)
東の曲輪

東の曲輪

(主郭の南東と南西にある山道。堀の跡だそうな)
堀の跡

堀の跡

(そのまま北西に進むと出雲工業高校に出たので引き返した)
出雲工業高校

(城域にあった大山(だいせん)権現。この辺りでも伯耆大山への信仰があったようだ)
大山権現

(登山口近くにあった矢田総荒神)
矢田総荒神

(神戸(かんど)川の対岸から見た半分城(やや右の鉄塔がある場所))
神戸川

感想:現在の塩冶地区と朝山地区の境にあり神戸川が近くを流れることから、その辺りを押さえるため塩冶氏が築城したのだと思います。今も塩冶地区の当地から朝山地区の馬木町に入るとガラッと雰囲気が変わるため大事な場所だったのでしょう。
 ちなみに南東を流れる川は斐伊川が溢れた際に神戸川へと水を流すために近年造られた放水路で城とは何の関係もないです。

(縄張図)
縄張図