●出雲 海老山城
住所:島根県松江市鹿島町名分
駐車場:なし
遺構:曲輪、堀切、畦状竪堀
標高:102メートル/比高:98メートル
長享元(1487)年、新田右馬頭泰国が2年をかけて築城したと伝わる。天文19(1550)年、新田氏は佐太神社の神主で盧山城主の朝山氏と所領を巡って争いとなった。しばらく決着が付かなかったが、朝山氏が海老山城に出入りする者を買収して火をかけさせたため、5月20日に落城する。この日に海老山に入って鯨波や轡の音、黄金の鶏の声を聞いた者は不幸になるという。『雲陽誌』には尼子方の新田氏と毛利方の朝山氏が争ったとある。
伝承がどこまで正しいかは不明だが、尾根伝いに来る東からの侵入を阻止する縄張になっており、第一次尼子再興戦で真山城に対する陣城として毛利軍に利用されたのは間違いない。
(入口の千光寺にある新田右馬頭泰国の供養塔。平成24(2012)年、泰国の没後460回遠忌に建てられた)
(城は東西に長細く曲輪が配置してある。登ったらやや西寄りの場所に出た)
(西端。西は普請が甘いらしいのだけど、私には分からなかった)
(堀切は現地で番号が振ってあるので、私のような初心者でも見学しやすい。道にはロープもあるため、沿っていけば迷うこともない)
感想:東側の堀切が多く重要視していることが確認できました。