中国・九州史跡巡り2010(1日目:荒尾家墓所・布部山・塩谷一族の墓)

 2010年8月11日(水)、実家の山陰に帰省してすぐに私用で出雲市に向かう・・・が、その前に少しだけ寄り道。

1.了春寺・・・鳥取県米子市博労町2丁目59。鳥取県を治めていた池田藩の重臣で米子城の城主・荒尾家の菩提寺。
感想:米子藩の藩主として治めていた訳ではないので、米子の人間はほとんど誰も荒尾家の存在を知らない。私も自分の実家の辺りをなんていう家臣が治めていたのか知らないんです・・・。

(境内にある出雲大社の分社)

(荒尾家墓所。予想通りでかいな)


2.布部山(要害山)・・・島根県広瀬町布部。布部山の戦いの舞台となった場所。1569年、尼子氏再興を狙う山中鹿之助ら尼子残党は出雲に上陸。北部九州で大友宗麟と戦っていた毛利軍は引き返し尼子残党の一掃を図る。1570年、毛利輝元を総大将に、吉川元春・小早川隆景・桂元澄・福原貞俊など14000の毛利家の主力メンバーが出雲に向かい、7000の尼子残党と激突。兵力差に加え背後に回り込まれた尼子残党軍は惨敗してしまう。以後、尼子残党は出雲での主導権を握ることはなかった。
感想:戦いはこの山を中心にではなく麓の集落で行なわれた。山から見ると古戦場が良く分かる。布部山の案内板によると「戦いのあった2月14日は山中祭が行われ、陣粥がふるまわれる」そうだが、今でもやっているのだろうか・・・。
 布部地区には毛利輝元の陣跡などがあるらしいのだが、探しても良く分からなかった。今度はちゃんと調査してから来よう。

(布部山)

(布部山から古戦場を望む)

 私用を済ますと何となく前から気になっていた塩冶高貞関係の史跡を廻る。

3.大廻城・・・出雲市上塩冶町。塩冶氏の城。土塁などが残っている。
感想:近所の人に「荒れ果てていて危険だから行くな」と止められたのでやめた。
(大廻城入り口)

4.塩谷神社・・・出雲市上塩冶1749。塩谷郷に古くからあった神社。塩冶高貞などを祀る。
感想:趣のある神社でした。この暑さの中でずっと境内の階段で携帯をやっていた人が気になったが・・・。何だったんだろう。

(本殿)

(塩冶判官高貞公顕彰の碑)

5.神門寺・・・出雲市塩冶町821。すいません、どういうお寺か分かりません。塩谷一族(高貞の祖父と父である頼泰・貞清ら)の墓がある。

(本堂)

(墓。碑と屋根は塩谷氏の子孫を名乗った伯耆の豪族・南条氏の後裔の方が建てられたらしい)


 出雲市はこれで終わり。少し戻って松江市に行く。

7.松平直政の像・・・松江市殿町1番地の島根県庁の庭にある。昭和2年に松江城本丸に作られたが、昭和18年に資材として供出させられた。しかし平成21年に再建される。松平直政についてはココを、銅像のイメージについてココをご覧下さい。
感想:上向いている騎馬像なんて初めて見た。勝手な希望だけど堀尾吉晴の銅像も作って欲しいなあ・・・。

(真田丸を見上げる直政)

(逆光から撮った銅像)


 それから宍道湖の夕陽を見て帰ろうと思ったが、雲が多くて楽しめそうになかったので帰った。
本日の感想:塩冶高貞関係の史跡は調べればもっとありそうだな。次に行く時はちゃんと調べて行こう。



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