2019年4月27日(土)、私と尼子再興450周年実行委員会メンバーの2人で松江市内にある尼子再興軍ゆかりの山城を廻ることにした。雨が心配だったが見事に晴れた。七難八苦はなかった。
9時:松江市某所で集合。私の車に全員が乗る。
9時半:真山(新山)城に到着。
真山城・・・島根県松江市法吉町。永禄13(1569)年から始まった第一次尼子再興戦で再興軍が本拠地とした城。おそらく月山富田城を落とした後はそちらに拠点を移すつもりだったのだろうが、落とすことが出来ないまま尼子勝久が出雲を去る元亀2(1571)年まで本拠地だった。
南から北にかけて細長く曲輪群が続いている単純な造りの城。
(登ってすぐのところから北陵町のソフトビジネスパークが見える。今も工事をしていたので、まだまだ拡張されるのだろう)
(昭和2(1926)年に建てられた山中鹿介の両親の墓。両親が信濃出身という説を元に建てられたようだ)
南の宍道湖と北の日本海の中間にあるのが当城や次に行く白鹿城で、隠岐・但馬・丹後と協力していた尼子氏や再興軍にとっては死守しなければならない場所にあった。そして毛利軍としては何としても制圧しなければならない城でもあったため、一帯で激しい攻防戦が行われている。ちなみに上記の写真の真ん中の山が白鹿城。
11時15分:全員、怪我なく無事下山。
11時半:常福寺に到着。
常福寺・・・島根県松江市法吉町。白鹿城主・松田氏の菩提寺。永禄6(1563)年の白鹿城攻防戦では住職が毛利軍との戦いで戦死している。真山城にあった「尼子勝久公之碑」は尼子氏の顕彰に熱心だった大正時代の住職・小川龍山や尼子信奉者(パンフにそう書いてあった)が建てたもの。
11時45分:白鹿城に到着。
白鹿城・・・島根県松江市法吉町。尼子十旗の一つ。雲芸攻防戦では毛利軍の攻撃を受け開城した。
再興戦とは関係ないが真山城から近いし城も見応えがあるから南口から案内した(入口から山頂までを。遺構は知らん)。
(山頂から更に進んだ本丸から真山城を望む。白鹿城攻防戦では吉川元春が陣城としている。その時に築いたから新山城とも呼ばれるのか? 根拠ないけど)
(小白鹿の曲輪。ここを毛利軍に落とされても尼子軍は抵抗を続けた)
(小白鹿から見た宍道湖と松江市街地。麓に見えるのは「うぐいす台」の団地)
13時半:全員、怪我なく無事下山。
13時45分~14時10分:ここで昼休憩。出雲では定番の「手造りうどん たまき」に行く。この時間で駐車場は9割以上埋まっていた。さすがたまき。
後半に続きます。