法川山和銅寺(龍造寺隆信の墓碑)

●法川山和銅寺
住所:長崎県諫早市高来町法川20
駐車場:あり

 曹洞宗。和銅元年(708)、行基によって創建されたと伝えられる。本尊で県指定有形文化財の十一面観世音菩薩は、行基が彫刻したと伝わる「行基七観音」の一つである。秘仏で50年に一度開帳され、次回は2032年の予定である。
 のちに七堂伽藍が整備され慈覚が住した際、仁王像を残したと伝わる。建武年間(1334~36)、今川了俊の兵火により焼失したが、貞治2年(正平18年,1363)に菊池武光によって再建された。永禄元年(1558)、天台宗から曹洞宗へと改宗している。
 天正12年(1584)、龍造寺隆信が有馬晴信と島津家久を討つため敵地に向かう途中、和銅寺に立ち寄り、3日間滞在したとされる。のちに隆信が沖田畷の戦いで敗れると佐賀県佐賀市の龍泰寺の住職・太圭が隆信の遺体を収容し、和銅寺で荼毘に付した。その後、遺骨は佐賀へと持ち帰られた。
 寛永年間(1624~44)、天翁芳曇が再建している。

(入口)
入口

(鐘楼)
鐘楼

(本堂。仁王門が無くなったらしく、仁王像がそのまま置いてあった)
本堂

本堂

本堂

本堂

(境内の様子)
境内

境内

境内

(龍造寺隆信の墓碑。正確には火葬場跡にある供養塔。当初は土を持った塚だったが、明治2年(1869)に自然石を使って墓碑を建て、玉垣で囲んだ)
龍造寺隆信の墓碑

龍造寺隆信の墓碑

龍造寺隆信の墓碑

参考文献:長崎県の地名、長崎県の歴史散歩、九州西国霊場曹洞宗 平安山 龍泰寺

感想:建武年間に今川了俊は九州に来ていないので、もう少し後の時代の話だと思います。
 お寺が経営している和同保育園に行く子供が、親と離れたくなかったのかギャン泣きしていたのを記憶しています。