●天初院(深堀純賢夫妻の墓)
住所:長崎県諫早市高来町船津338
駐車場:あり
曹洞宗。本尊は釈迦如来像。元和2年(1616)、深堀純賢によって創建された。
深堀氏は関東の御家人・三浦氏の一族で、鎌倉時代に肥前へ移り戦国時代には龍造寺隆信に従う。天正16年(1588)、純賢は長崎港に入港する堺や博多などの商人から海賊行為を訴えられ、豊臣秀吉によって領地を没収され鍋島直茂に身柄を預けられた。
その後、純賢は筑前に領地を与えられ朝鮮出兵では直茂に従って出陣。やがて直茂に仕えるようになり、筑前の領地を返上して先祖伝来の地である長崎県長崎市深掘や深海(ふかのみ。現在の小船津名、建山名、古場名)などの領地を与えられ、鍋島姓を与えられる。
深堀純賢の妻・天初院は、龍造寺隆信の家臣・石井信忠の妻だったが、信忠が沖田畷の戦いで戦死したため、純賢と再婚した。慶長6年7月4日に亡くなり、当初は埋葬地は不明だが、現在は純賢と共に本堂裏の墓地に墓が建っている。
当初の本尊は鍋島勝茂の妻(徳川家康の養女)が天初院の菩提を弔うため奉納した薬師如来像だったが、近世の二度の境内での火災のため焼失が危惧され、現在は本山の永平寺に安置してあるという(元禄6年(1563)の火災で焼失したという説もある)。現在の本尊である釈迦如来像は深海村の住民だった荒川十郎が大正年間に寄進したものである。
(鐘楼。鐘は太平洋戦争中に供出されたが、戦後になって再建された)

(本堂。昭和19年(1944)11月21日、B29が長崎県に空襲した際に坂本幹彦中尉が雷電で迎撃に出て、B29に体当たりして撃墜した。坂本機も損害を受けて諫早市長田町で地面に激突し、坂本中尉の遺体は高来町で見つかる。昭和52年(1977)に双方の犠牲者を鎮魂するため、天初院で日米合同慰霊祭が行われた)

参考文献:長崎県の地名、長崎県の歴史散歩、諫早市史 第3巻、高来町郷土誌、坂本中尉機とボーイングB29(諫早市公式サイト)
感想:深堀純賢を全く知らずに長崎県の歴史散歩にあるから参拝しましたが、後で調べたら有名な領主でした。


