●竜源山西方寺(まだれいなのキリシタン墓碑)
住所:長崎県島原市山寺町854(字 丙)
駐車場:あり(まだれいなのキリシタン墓は不明)
浄土真宗。通称は山寺。熊本市にある西光寺の末寺になる。地元に平野国承という豪族がおり、永正元年(1504)に浄土真宗の9代門主の実如と謁見して出家し「了義」と称した。その後、10代門主の證如の弟子となり妻を賜る。妻は三位中将・紀親祐の姉で、天文10年(1532)に二人の間に覚念が産まれた。
覚念は熊本県玉名市の安養寺で修行した後、元亀3年(1572)に西方寺を開く。寺宝に正親町天皇と不破正種の書が所蔵されている。
境内から西に約100メートル進んだ共同墓地に、「まだれいなのキリシタン墓碑(県指定史跡)」がある。高さ90cm、幅63cm、厚さ36cmの安山岩製で、ある女性のポルトガル語のクリスチャンネーム「マダレーナ」が、平仮名で「まだれいな」と左側に刻まれている。正面にはカルワリオ型十字紋(干十字。磔にされたキリストの十字架を象徴)が彫られている。
島原半島にはキリシタン墓碑が100基余(一部資料では150基余とされる)あるが、横に寝かせたカマボコ型や箱型の墓が多い中で、このような自然石の直立型の墓碑は稀である。江戸幕府によるキリスト教禁教令が発布された慶長19年(1614)以前に建てられたと建立されたと推定されている。
参考文献:長崎県の地名、長崎県案内、島原半島史 下巻、長崎県の歴史散歩、島原市公式サイト、現地の案内板
感想:平野国承は「長崎県案内」によると「山麓西光寺の祖、片保田の城主」と記載してあり内容が理解できなかったため、地元の豪族と書きました。熊本県山鹿市に方保田城
という城があるようですが、関係は不明です。
正親町天皇と不破正種の書のことも「長崎県案内」に記載があったのですが、昭和11年の本なので現存するか不明です。
まだれいなのキリシタン墓は境内にある墓地かと思い探し回っていたら、お寺の方に声をかけられ教えてもらいました。共同墓地にあるというので、すっかり境内かと・・・。