肥前 中岳砦(中岳合戦で大村純伊が本陣を構えた場所)

●肥前 中岳砦
住所:長崎県大村市中岳町
駐車場:なし
遺構:曲輪、掘切、土塁
標高:169メートル/比高:42メートル

 郡川と南ノ川内川(南河内川)の合流点近くにある小高い丘に築かれている。文明6年(1474)の中岳合戦では大村純伊が本陣を置いた。大村軍が有馬軍に敗北して総崩れになると純伊は鳥甲城に撤退し、大村純直が守備した。しかし有馬軍が中岳砦に迫ると純直は守り切れないと判断し、火を放って鳥甲城に引いている。
 現在、主郭には山神宮の祠が祀られており参道が整備されている。

(全景。参道の存在を知らなくて南西の墓地側から直登した。場所は下の縄張図を参照)
全景

(城域の南西の石垣。城の遺構ではないらしい。祠が建てられた時のものだろうか)
南西の石垣

南西の石垣

南西の石垣

(最南端の曲輪。ここに石垣があった)
最南端の曲輪

(中央の一番大きな曲輪。三ノ曲輪になる)
中央の一番大きな曲輪

中央の一番大きな曲輪

中央の一番大きな曲輪

(三ノ曲輪と周囲に段差のある一ノ曲輪の間にある二ノ曲輪)
二ノ曲輪

二ノ曲輪

(一ノ曲輪。主郭で上記の通り、山神宮の祠が祀られている。土塁があったらしいが気がつかなかった)
一ノ曲輪

一ノ曲輪

一ノ曲輪

一ノ曲輪

(階段が虎口に見えるが・・・。その下の参道は掘切(aと書いてある箇所)。その東側は不明瞭で城域だったか分からないらしい。参道として利用されている掘切を過ぎると鋪装された道に出る)
虎口

掘切

掘切

(北の麓にあった山王大権現)
山王大権現

山王大権現

参考文献:日本城郭大系 第17巻、大村史話 続編 1、新編大村市史 第2巻 (中世編)

感想:参道の道は柵があったが扉が簡単に空いたと思います。かなり前に訪問したため記憶が曖昧です。南西の墓地側から行くメリットは少し近くなるくらいなので、北西の参道を使いましょう。

(縄張図。クリックすると別タブが開きます)
縄張図


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