萬歳山本経寺(大村家の菩提寺)

●萬歳山本経寺
住所:長崎県大村市古町1丁目64
駐車場:あり

 日蓮宗。本尊は釈迦牟尼仏。当地にはかつて日蔵坊(普門坊)があったが、天正2年(1574)年にキリシタンに焼かれ、その跡地には「耶蘇大寺(大教会)」が建てられたと伝わる。
 大村藩の初代藩主である大村喜前はキリシタンで洗礼を受けていたが、キリシタン禁令の後、領地と家を守るために加藤清正の勧めで日蓮宗に帰依した。そして耶蘇大寺を焼き払い、慶長13年(1608)に法性山本経寺を創建する。清正の菩提寺として知られる熊本市の本妙寺の僧・日真を開山に迎え、大村家の菩提寺とした。寺領は120石であった。
 元和6年(1620)、三代藩主の大村純信の就任する際、本経寺に参詣して万歳を唱えたことから山号が萬歳山に改められる。寛政2年(1790)、焼失した本堂を再建した。文政7年(1824)と翌年に、鐘楼と仁王門を再建する。

(山門と仁王門)
山門と仁王門

山門と仁王門

山門と仁王門

(本堂、鐘楼など)
本堂、鐘楼

本堂、鐘楼

本堂、鐘楼

本堂、鐘楼

(県指定文化財の大村家墓碑群。墓が七八基、石灯能四八一基が建っている。ここまで一つの家の墓が一箇所にあるのは見たことがない)
大村家墓碑群

大村家墓碑群

大村家墓碑群

(大村喜前(向かって左)と大村純伊(向かって右)の霊廟。純伊は戦国時代初期の武将で有馬氏と戦った)
霊廟

霊廟

(大村純信の墓)
大村純信の墓

(大村純長の墓。純長が藩主の時に有名な「郡崩れ(明暦3年(1657)に大村領内で大勢のキリシタンが摘発された)」が起きている)
大村純長の墓

(墓碑群の近くにある義犬華丸の顕彰記念碑。慶安3年(1650)、華丸の主人の小佐々市右衛門前親は、藩主の大村純信が亡くなると殉死した。その遺体を火葬している時に華丸は火中に飛び込んで焼死する。碑は平成27年(2015)の365回忌に建てられた。墓碑群内には前親と華丸の墓も建つ)
義犬華丸の顕彰記念碑

参考文献:長崎県の地名、長崎県の歴史散歩、本経寺公式サイト

感想:大村家墓碑群は数と一基の大きさに圧倒されました。現地に行けば説明もあるので、気になる大村家主従の墓に参拝してみてください。