●瑞雲山本光寺(肥前 丸尾城)
住所:長崎県島原市本光寺町3380
駐車場:あり
本光寺は曹洞宗で本尊は釈迦如来像である。永禄3(1560)年、愛知県幸田町深溝(ふこうず)に今川氏の菩提寺として希声英音を開山として創建されたと伝わる。のちに深溝松平家の菩提寺となり、深溝松平家が移封される度に本光寺も移転された。
当地には丸尾城跡があったが、天正12(1584)年の沖田畷の戦いでの戦没者を弔うため、寛永15年(1638年)に島原藩主・高力忠房が禅林寺を創建した。寛文9(1669)年、松平忠房が京都府福知山市から島原に移封されると、本光寺も島原市柏野町に移転する。元禄3(1690)年、松平忠房が母の福昌院の菩提を弔うため、禅林寺を浄林寺と改号して菩提寺とし、本光寺の末寺とする。
明治4(1871)年、本光寺学校は長崎県島原出張所の管轄となり、島原学校となったため、明治8(1875)年に浄林寺と合併して現在地に移転した。
丸尾城は島原氏の居城・浜城の山手西側を守るための支城として築かれた。沖田畷の戦いでは島津軍の猿亘越中守信光が守備しており、龍造寺軍の鍋島直茂隊と激戦になり、信光の嫡男・弥次郎が討たれるほど苦戦したが、龍造寺軍が大将の龍造寺隆信が討たれたため撤退して難を逃れている。
島原藩士屋敷図、地蔵菩薩立像など多数の文化財が寺宝としてある。
(観音堂。中には寺宝が納められている。その中の木造如意輪観音像(市指定文化財)は元亀2(1571)年の織田信長の比叡山焼打ちで明智一族が火中から救い出したものと伝わっている。もとは明智光秀の領地・福知山にあったが、移転の際に持って来られたとのこと)

(墓所に向かう階段。なんとなく城っぽいので撮影した。境内の石垣が遺構らしいが、これのことだろうか)

(松平好房の頌徳碑。好房は松平忠房の長男だったが21歳で亡くなった。孝子(親孝行な子)として戦前は教科書に載るほどの人物だったらしい)

(丸尾城の案内があった。沖田畷の戦いで龍造寺勢が撤退したことから、有馬氏の島原半島支配とキリシタン信仰が強固になり、やがて島原・天草一揆に繋がると書いてあった)

(シーボルトの弟子で医療や自然科学の発展に尽力した島原藩医・賀来佐一郎の墓)

(市指定文化財の十六羅漢石像。元文4(1739年)年に作成された)

(深溝松平家の墓所。ほとんどの当主の墓は本拠地だった愛知県幸田町の本光寺にある)

参考文献:長崎県の地名、長崎県の歴史散歩、日本城郭大系 第17巻、島原市公式サイト、しまづくめ
感想:7時半頃に参拝したので近所の方から「散歩かね」と声をかけられた記憶があります。
本光寺常盤歴史資料館というのがあったそうですが、この記事をまとめている時に知りました。どのみち、朝が早かったので開いていなかったと思いますが。
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