肥前 針尾城(小鯛城。針尾氏の居城)

●肥前 針尾城(小鯛城)
住所:長崎県佐世保市針尾中町
駐車場:なし
遺構:曲輪、空堀、土塁
標高:31メートル/比高:0メートル

 針尾島の南西の端にあり、麓には小鯛浦がある。小鯛浦のある針尾瀬戸は潮の流れが早いことから海の難所だった。
 築城年代や築城者は不明だが、鎌倉時代から名前の見える針尾氏の居城で、戦国時代には針尾伊賀守が大村純忠の家臣になっている。永禄5(1562)年には大村純忠が開いた国際貿易港・横瀬浦の奉行に任ぜられていたが、武雄の領主だった後藤貴明と結んで純忠に背き、横瀬浦を焼き払い宣教師を襲った。これに対して純忠は有馬氏と共に針尾城を包囲して針尾の地を焼き払う。やがて伊賀守は追放され、落ち延びた地で発狂したという。
 永禄9(1566)年の段階で宣教師が、純忠が針尾の地を掌握していないと記録しており、長い間大村氏に抵抗する勢力が当地にいたようだ。
 元亀3(1572)年、佐志方城の城代に大村純忠の家臣・針尾三郎左衛門という者がいたが、松浦隆信に寝返った。しかし、直ぐに純忠に帰順したため、隆信に攻められ敗走している。廃城の時期は不明である。
 発掘調査で十二世紀~十六世紀までの中国・朝鮮半島・東南アジアの陶磁器が見つかり、国際貿易を行っていたと推測されている。周囲に農業に適した平野がないことから漁業と貿易が生活基盤だったと思われる。針尾氏の国際貿易と横瀬浦の攻撃には、何か関係があるのかもしれない。

(小鯛浦から見た針尾城の全景。南側は断崖になっており防御施設がない。場所については一番下にスクロールするとある縄張図を参照)
針尾城の全景

(現在の針尾浦)
針尾浦

(北側の空堀と土塁)
北側の空堀と土塁

北側の空堀と土塁

北側の空堀と土塁

北側の空堀と土塁

北側の空堀と土塁

北側の空堀と土塁

北側の空堀と土塁

(曲輪)
曲輪

曲輪

曲輪

曲輪

曲輪

(南側。竪堀があるようにも見えたが・・・)
南側

南側

(戸御崎神社。針尾浦の向かいに位置している。武塔神が船で小鯛浦に上陸したため、これを奉じたのが始まりだと伝わる。針尾氏と関係があったと思われるが詳細は不明)
戸御崎神社

(おまけ。針尾城に行く前に腹ごしらえをした)
食事

食事

参考文献:長崎県の地名、日本城郭大系 第17巻、長崎県中近世城館跡分布調査報告書2、九州の名城を歩く 佐賀・長崎編、長崎県東彼杵郡誌

感想:城に入る時は小鯛浦から北に回りましたが、帰る時に面倒臭くなって南側をこのまま降りたら楽じゃないかと思い行ってみたら民家に出てしまいました。御迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。

(縄張図。クリックすると別タブが開きます)
縄張図


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