鶴寿丸(つるひさまる)の墓(島津義弘の長男の墓)

●鶴寿丸(つるひさまる)の墓(島津義弘の長男の墓)
住所:宮崎県えびの市小田(字 麓)
駐車場:なし

 市指定史跡。鶴寿丸は、島津義弘の長男として生まれたが、天正4(1576)年に8歳で赤痢のため夭折した。加久藤城内に葬られたが、10年後に現在の地にあった光林山不動寺に改葬される。
 赤痢に効果がある神様として、大正時代まで参拝客が訪れていたという。

(道沿いにある案内の看板)
案内の看板

(光林山不動寺の跡。顔を削られた石仏が痛々しい)
光林山不動寺の跡

光林山不動寺の跡

(鶴寿丸の墓。墓石は明治維新後の廃仏毀釈の際に神道型に作り直された。正面には戒名ではなく「蘆鶴雲翔男命」と神号で刻んである)
鶴寿丸の墓

参考文献:現地の案内板、えびの市公式サイト、加久藤町郷土誌、調和 基地と住民 通巻59号、

感想:加久藤城に向かう途中、案内の看板があったので参拝しました。
 木崎原の戦いの前哨戦、加久藤城の攻防戦では不動寺の僧・久道が火縄銃で伊東軍の米良筑後守を射殺したそうです。廃仏毀釈では加久藤村の仏像が不動寺に集められ焼却されています。