●都農神社
住所:宮崎県児湯郡都農町川北13294
駐車場:あり
日向国一宮。祭神は大己貴命。神武天皇が東遷の際、宮崎宮を出発した途中で当地で国土平安、海上平穏、武運長久の鎮祭(諸神をまつり、その土地を鎮め固めるための祭儀)したのが始まりと伝わる。延長5(927)年に完成した延喜式神名帳にも記載があり、都万神社、江田神社、霧島岑神社と共に日向四座の一つだった。
中世は日向菊池氏の影響下にあり一族が先達職(学問・技芸・修行などで、先にその道に達し他を導く役職)を代々相伝した。天文18(1549)年、伊東義祐が造営を行う。天正年間(1573~92)に大友氏と島津氏との戦いで、大友氏の兵火により社殿・宝物・古文書などを焼失した。
元和元(1615)年、高鍋藩主・秋月種春が再興し、その後何度か高鍋藩によって改築などが行われたが、往時の勢いはなく文化9(1812)年に都農神社を参拝した伊能忠敬は「甚だ小社なり」という記録を残している。
現在は農業守護、疫病退散、漁業航海守護、交通安全、縁結び、子孫繁栄、福徳(幸福と利益)円満の神として多くの参拝客が訪れている。
(あぶら石。都農川の増水で神社参拝が難しい時、石に油を注いで火を灯し遙拝所とした)
(末社の熊野神社。中世には都農神社が和歌山県の熊野大社の御師の拠点で、近世の都農神社の本殿がここだったようだ。伊能忠敬の「甚だ小社なり」という感想は、ここを見てなのか?)
参考文献:宮崎県の地名、宮崎県の歴史散歩、都農神社公式サイト
感想:日向国一宮ということで参拝しました。年末でしたが、それでも参拝客を見かけました。撫で大国や撫で兎があると聞いて探したのですが分かりませんでした。
近世には衰退したとのことですが今は境内も広く社殿も立派でした。近代になっての歴史が不明でしたが持ち直したのでしょう。