●東霧島神社(つまきりしまじんじゃ)
住所:宮崎県都城市高崎町東霧島1560
駐車場:あり
主祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)。東を「つま」と読むのは、「あづま」を略して「つま」と読むようになったとする説がある。
第五代孝昭天皇の頃(紀元前400年頃)に霧島山に創建されたが、噴火などの災害により被災し、応仁3年(963年)に僧・性空が現在地に再建するとともに別当寺を創建したとされる。『三代実録』に記載される「霧島神」や『延喜式』神名帳に見える「霧島神社」が、この東霧島神社に該当するという。
応永16(1409)年、島津久豊が先勝祈願を行った。天文21(1552)年、本郷忠相が土地を寄進している。天正6(1578)年、高城・耳川の戦いに出陣する際には際には、島津義久が東霧島神社や鵜戸神宮に祈祷を依頼した。慶長4(1599)年6月の庄内の乱では島津忠恒、島津忠豊、新納忠元らの軍勢が集結し、東霧島の住僧であった豪澄も志和池城攻めに参戦した。同年10月には、島津義久が本陣を置いている。
近世までは「東霧島大権現」や「妻霧島」などと呼ばれていたが、明治元(1868)年に長尾神社と改称し、明治30(1897)年に現在の社名である東霧島神社と改称した。
社宝として、応永16(1409)年~文禄3年(万暦22,1594)年までの島津家や琉球王国の中山王に関する文書が「東霧島神社文書」として市の有形文化財に指定されている。
(参道。三が日の7時半頃に行ったので屋台はあったが開店していない)
(神石裂磐。この石が悪魔となって障りがあったため伊弉諾尊が十握剣で切り裂いたという伝承がある)
(伊弉冉神社。身重で本殿に参拝できない女性のための末社で、安産などの御利益があるという)
(社殿への石段の入口。賽銭箱があるため登ってよいのか困惑している参拝者がいた。おそらく賽銭箱は登れない方のためだろう。石段は鬼が築いたという鬼磐階段の伝説があるため鳥居の横に鬼の像がある。伝説に興味がある方は宮崎県都城市ホームページを見てください)
参考文献:宮崎県の地名、宮崎県の歴史散歩、東霧島神社公式サイト、宮崎県都城市ホームページ
感想:都城市から小林市に向かって国道221号を走っていたら看板が出ていたので参拝しました。最初「ひがしきりしまじんじゃ」と読んでいました。
県指定有形文化財の梵鐘があり島津義広が大坂夏の陣の戦勝祈願のため寄進したものがあったらしいのですが見逃しました。