妻耶大将軍神社(大友宗麟陣屋跡地)

●妻耶大将軍神社(大友宗麟陣屋跡地)
住所:宮崎県延岡市無鹿町2丁目3368-乙
駐車場:なし

 祭神は盤長姫命など。明暦2(1656)年に勧請された。明治2(1869)年栗野名神社に合祀されるが、明治13(1880)年に複社される。昭和20(1945)年に大雨のため社殿に被害が出るが、のちに修復された。二股大根を奉納すると、子供の全身性痙攣(ひきつけ)などを治す御利益があると伝わる。
 近世の豊後街道は神社のある無鹿から北に流れる北川を渡り延岡市北川町から陸路を歩くのが一般的だったため、通行人の監視などの目的で無鹿には口番所も置かれていた。
 境内は天正6(1578)年の高城・耳川合戦で大友宗麟が本陣を置いた場所でもある。海路で延岡市に上陸した宗麟が宣教師などを連れて当地に本陣を置き、無鹿(務志賀、牟鹿。ラテン語のmusicaから取って宗麟が名付けたという説もある)に仮会堂を建設した。その際、周辺の寺社を破壊したという。天正13(1585)年、島津家久や上井覚兼らが川舟で(北川からヵ)本陣を見学している。
 境内には延岡市古墳 第24号墳もある。

(一の鳥居。鳥居の後ろの石段には『大友宗麟陣屋跡地』の標柱がある)
一の鳥居

一の鳥居

(二の鳥居)
二の鳥居

(二の鳥居から見た北川)
北川

(拝殿と本殿。この辺りが本陣跡らしい)
拝殿と本殿

拝殿と本殿

(延岡市古墳 第24号墳。近世に石棺が掘り出された)
延岡市古墳 第24号墳

延岡市古墳 第24号墳

(帰りの階段の撮影)
帰りの階段

参考文献:宮崎県の地名、現代語訳 上井覚兼日記3、しまづくめ、現地の案内板、宮崎県神道青年会

感想:神社の前の道が狭いため絶対に車で近寄ってはいけません。私も予めグーグルストリートビューで駐車できる場所を確認してから歩いて参拝しました。
 宮崎県の横断旅行の際はここが最初の目的地だったので気分は大友宗麟でした。宗麟ファンの方、申し訳ありません。
 延岡市古墳 第24号墳については伊弉諾尊の墓説(西国御陵墓伝説)などもあるようですが、古代には興味がないので何とも・・・。