●日向 塩見城
住所:宮崎県日向市塩見(字 古城内、蔵ノ後、上ノ坊、東ケ迫)
駐車場:なし
遺構:曲輪、虎口、土塁
標高:71メートル/比高:50メートル
塩見川の北岸に位置し東に行くと日向灘、西は高千穂や阿蘇地方、北は延岡市、南は宮崎方面に出る交通の要衝だった。現在も国道327号と東九州自動車道が交差している。
南北朝時代に土持氏が築城したと伝わるが真偽は不明。ただし当地には平安時代からあった豊前宇佐神宮の神宮寺だった弥勤寺の荘園・塩見庄があり、その支配の中心に塩見城の前身があったのではないかという説もある。
長禄元(1457)年の小浪川の戦いで伊東氏が財部上持氏に勝利すると伊東氏が所有し、重要拠点である「伊東四十八城」及び、門川城、日知屋城と連携して機能した「日向三城」の一つとなった。天正6(1578)年の高城・耳川の戦い後、勝利した島津義久の勢力下となり吉田忠澄が入る。天正14(1586)年2月に島津義久は塩見に宿場を用意させ、10月には塩見城に入って本陣とし年を越した。天正15(1587)年の九州攻めの後に高橋元種が延岡地方の藩主になると元種の城となり、元和元(1615)年の一国一城令で廃城になったという。
城の西側を東九州自動車道が通っているなど改変が激しい。
(水月寺。寛文5(1665)年、日向市富高に創建されたが、明治44(1911)年光厳寺のあった当地に移転し光厳寺と合併した)
(道の北にある主郭群。鶴見城山公園になっており、ここには3つの曲輪があり土塁や虎口もあることから一番城の雰囲気が残っている)
(主郭に建つ慰霊碑。塩見城主だった右松四郎左衛門祐春らが高城・耳川の戦いで戦死したため、その者達を慰霊するため後裔の細川家が平成16(2004)年に建てた。公園の整備も細川さんの経営する細川建設が行っている)
(主郭から降りて東九州自動車道の東にある段差。かつては公園の一部だったようだ。ここも曲輪だったらしい)
参考文献:宮崎県の地名、宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ、九州の名城を歩く 宮崎・鹿児島編、「不屈の両殿」島津義久・義弘、宮崎県埋蔵文化財センター発掘調査報告書210 塩見城跡
感想:縄張図の掲載許可はもらったのですが道路の開通や拡張で変わりすぎていて、返って混乱させるので載せるのはやめました。