恵照山西林院(秋月種実の墓)

●恵照山西林院
住所:宮崎県串間市西方2714

 筑前の古処山城主・秋月種実は島津義久に従って勢力を広げていたが、天正15(1587)年に義久が豊臣秀吉に降伏したため日向の財部(高鍋)・櫛間(串間)3万石に移封される。種実は隠居して息子の秋月種長に家督を譲り金谷城で失意の日々を送って文禄5(1596)年に京都で亡くなった。
 種実の遺骸は京都の大徳寺に葬られたが、種長は支配の中心だった櫛間城下に菩提寺を建てるため遺髪を持ち帰り、種実の戒名・西林院殿笑翁宗誾大居士にちなんで恵照山西林院を創建し墓を建てる。
 明治3年に廃寺となったが、元住職や檀徒が復興を願い出て明治15(1882)年に許可された。

(山門)
山門

(本堂)
本堂

(秋月家墓地)
秋月家墓地

(秋月種実の墓)
秋月種実の墓

(秋月種実の妻の墓)
秋月種実の妻の墓

(種実の五男の秋月種守の墓。四男の万吉ではないかという説もある)
秋月種守の墓

参考文献:宮崎県の歴史散歩、串間地名考 歴史と伝説、串間市役所朝倉市役所(ふるさと人物誌25 戦国時代を翔けた「秋月種実」)、現地の案内板

感想:寺に行く道が分からず南那珂森林組合さんの辺りをウロウロしていた記憶があります。