●日向 延岡城(縣城・亀井城)
住所:宮崎県延岡市東本小路
駐車場:あり
遺構:曲輪、石垣、門跡、井戸跡
標高:50メートル/比高:41メートル
北の五ケ瀬川と南の大瀬川に挟まれ、東で両川が合流し東海湊(延岡港)に出る位置にある。天正15(1587)年の豊臣秀吉による九州国分で縣(延岡)を与えられ松尾城に入った高橋元種だったが、城下町の形成と鉄砲による近代戦を意識して慶長8(1603)年に縣城を築城した。
慶長19(1613)年、元種に替わって有馬直純が城主となり現在の延岡市街地の基礎を築き城郭を整備する。有馬氏時代に縣から延岡に改称したという(異説あり)。その後は三浦氏、牧野氏、内藤氏と徳川家譜代の大名が城主となり、明治維新を迎えた。明治6(1873)年に一部を除いて建物が取り壊され現在は城山公園として整備されている。
(下の縄張図の中央にあるのが城山と呼ばれる本城(この呼び方で良いのか不明)で西にあるのが西の丸。写真は本城の北東、駐車場の目の前にある曲輪)
(同じく中央にある始めカギ括弧(「)字形に曲がっている千人殺しの石垣。石垣の一部を外すと崩れ落ちて千人を殺せるのが由来だという)
(西の広い曲輪。二の丸になる。管理事務所もある。井戸跡もあった)
(本丸に建つ内藤政擧の像。政擧は延岡藩の最後の藩主で明治維新後は地元経済の発展に努めた)
(南東にある天守台。だが発掘調査では天守台の跡を示すものは発見されていない)
(鐘撞き堂。太鼓櫓があったが明治10(1877)年の西南戦争で焼失した。翌年に鐘撞き堂が建てられ時を知らせている。そのため勝手に鐘を突くのは禁止で、鐘を突いている時の撮影も許可が必要)
(車で西の丸に移動。延岡城・内藤記念博物館が建っている。中で延岡の歴史を学んだ。ここから延岡城の本城がよく見える)
参考文献:宮崎県の地名、宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ、九州の名城を歩く 宮崎・鹿児島編、現地の案内板
感想:変なところから登って見て廻ったため写真の順番がおかしいですが気にしないでください。皆さんは北大手門から回った方が分かりやすいと思います。