中椎木大師堂板碑(戸次川の戦い戦死者供養碑)

●中椎木大師堂板碑
住所:宮崎県児湯郡木城町椎木 (字 浦畑、新田)
駐車場:なし

 天正14(1586)年12月、豊後の大友宗麟の援護で豊臣秀吉の命により長宗我部元親、十河存保、仙石秀久らの四国連合軍が派遣された。四国連合軍は島津家久に包囲された鶴賀城を救援しようと戸次川を渡ったが大敗を喫する。
 椎木大師堂板碑は戸次川の戦いで戦死した椎木地区の武将の供養碑として伝わっている。

(大師堂)
大師堂

(向かって右から二番目が供養の板碑)
供養の板碑

(高城開基僧の碑(かんかん仏)。永徳3(1383)年の年号が刻んである)
高城開基僧の碑

高城開基僧の碑

参考文献:木城町広報誌(令和2年11月号 No.388)、木城町古社寺めぐり、しまづくめ

感想:駐車場がない上に周囲の道が狭く難儀しました。