●日向 三俣院高城(月山日和城)
住所:宮崎県都城市高城町大井手(字 取添)
駐車場:あり
遺構:曲輪、空堀、土塁
標高:160メートル/比高:12メートル
市指定史跡。南北朝時代、南朝方の肝付兼重が築いて拠点にしたという。建武3(1336)年、北朝方の畠山直顕らが三俣院(都城市高城町・山之口町及び北諸県郡三股町)の兼重城を攻めており、これが三俣院高城だと思われる。延元4(暦応2,1339)年に落城し北朝方の手に落ちた。永和4(1378)年頃には九州探題・今川了俊の息子である満範が南朝方の島津氏を攻める拠点としている。
その後、島津氏の直轄地となったようで亨徳2(1453)年には北郷持久が入ったが、明応4(1495)年には伊東祐尭の城となった。天文2(1533)年以降は三俣院を奪回しようとする北郷氏と伊東氏らの間で戦いが行われ、北郷氏が三俣院高城を手に入れている。
天正15(1587)年の九州国分で島津家の家臣・伊集院忠棟の城になった。慶長4(1599)年の庄内の乱で島津忠恒軍に攻撃されたが、伊集院氏と島津氏が和睦し三俣院高城も開城したため北郷氏の手に戻る。元和元(1615)年の一国一城令で廃城になった。
平成4(1992)年、高城町郷土資料館(模擬天守)が建てられた。
(①に建つ肝付兼重公誠忠碑(手前)と聖上御統監之地の碑(奥)。御統監之地の碑は昭和10(1935)年、高城平野で陸軍特別大演習が昭和天皇の統監で行われたことを記念して建てられた)
(西南戦争関係石碑群。高城郷(高城町の一部など)で西郷軍に従軍した戦死者の忠魂碑などが並んでいる)
(曲輪②の内ノ城。北側には土塁があった。東には北郷忠相が城主の際に建てた菅原神社が再建され祀られている)
(曲輪③に建つ高城神社。祭神は石根大神と平産大神で明治4(1871)年に現在地に移転された)
参考文献:宮崎県の地名、宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ、九州の名城を歩く 宮崎・鹿児島編、都城市公式ホームページ、宮崎県神道青年会、現地の案内板
感想:間違えて模擬天守まで車で行ってしまいました。南側から入ると駐車場がありますので、そちらを利用してください。
城史ですが複雑だったため間違いがいくつかあるかもしれません。申し訳ありません。