●日向 松山塁
住所:宮崎県児湯郡川南町川南湯迫
駐車場:なし
遺構:曲輪、堀、土塁、石塁
標高:60メートル/比高:20メートル
台地から切原(きりばる)川のある南に突き出ており東西と南は急勾配となっている。天正6(1578)年の新納院高城攻撃の際に大友宗麟軍の本陣が置かれ佐伯惟教が大将として布陣した。西に500メートル先にある高城を攻撃するため大砲も設置されたが射程距離外で届かなかったという。やがて大友宗麟軍は島津義久軍に敗北し松山塁を捨てて北に敗走している。
天正15(1587)年の豊臣秀吉の九州攻めでは豊臣秀長が新納院高城攻撃の際、本陣にしたという。
(東側の川南町と木城町の境にある地蔵谷。城を見ると東側に向かって急勾配になっているのが分かる。どうも橋からの自殺が多いらしい。高さが30メートルくらいはあるか)
参考文献:宮崎県の地名、宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ、九州の名城を歩く 宮崎・鹿児島編
感想:城郭放浪記さんは遺構をたくさん載せられていましたが、自分はよく分かりませんでした。
もっと南に行きたかったのですが獣除けの網があって進入禁止になっていました。