日向 小林城(三山城。伊東氏と島津氏の攻防戦の舞台)

●日向 小林城(三山城)
住所:宮崎県小林市真方(字 下ノ馬場)
駐車場:不明
遺構:曲輪、土塁、竪堀、空堀、虎口
標高:221メートル/比高:36メートル

 独立丘に築かれた城で南以外を石氷(いしごおり)川が流れて天然の濠になっており南は沼地だった。
 永禄9(1566)年、伊東義祐が日向で勢力を広げる島津氏に対抗するため築城し、米良筑後守重方を城主とした。そして飯野城の攻略を計画するが、逆に島津義久・義弘・歳久の三兄弟に包囲され、二の丸まで攻め込まれたものの、これを撃退している。
 天正4(1576)年、島津軍が高原城を攻撃すると城主の伊東勘解由は降伏し小林城も明け渡した。元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となったとされる。
 現在は城山公園となっている。

(公園入口)
公園入口

(麓の真方一区公民館にある馬頭観世音。永禄9(1566)年の小林城攻めで二百頭もの馬が焼け死んだ。天正5(1577)年に伊東氏は島津氏によって日向から駆逐されるが、その後、小林地方に牛馬の疫病が流行り、これは亡くなった伊東軍の祟りだということになり伊東軍の祟りによるものだとされ「伊東風」と呼ばれるようになった。この祟りを鎮めるために建立されたのが馬頭観世音である)
馬頭観世音

(曲輪かと思ったが、公園の駐車場のようだった)
公園の駐車場

公園の駐車場

公園の駐車場

公園の駐車場

(西の中央にある道が描いてある曲輪。場所は下の縄張図を参照)
西の中央

西の中央

(上記と東の曲輪の間にある虎口)
虎口

(虎口や西の中央の曲輪の北にある曲輪)
北にある曲輪

北にある曲輪

(東から中央にある大きな曲輪)
東から中央にある大きな曲輪

東から中央にある大きな曲輪

東から中央にある大きな曲輪

東から中央にある大きな曲輪

(南西の曲輪。ここが主郭らしい)
主郭

主郭

主郭

主郭

(北の空堀を見に行ったが倒壊した空き家があるなど危険な状態だったので手前で撮影して引き返した)
北の空堀

参考文献:宮崎県の地名、宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ、九州の名城を歩く 宮崎・鹿児島編、現地の案内板

感想:吉富城(三山城)と混同されて記載してあることが多く、私がこのあたりの知識を持っていないため、城の歴史を書くのに苦労しました。
 公園までの道が狭く駐車場も不明なため、どこか別の場所に駐めて歩いて行った方がいいです。

(縄張図。クリックすると別タブが開きます)
縄張図


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