●日向 清武城
住所:宮崎県宮崎市清武町加納甲
駐車場:駐車スペースがあるが可否不明
遺構:曲輪、空堀
標高:81メートル/比高:30メートル
清武川の北岸に位置し、当地は古くからの水運の拠点として利用されていたようである。築城年代、築城者は不明。延文6(正平16,1361)年、清滝城の凶徒が曾井城を攻めた際、土持八郎らが忠節を賞せられているが、この清滝城が清武城にあたるといわれる。城主は清武氏だったが、文安年間(1444~49)に伊東氏の城となり清武氏は家臣となった。
戦国時代には長倉伴九郎と上別府宮内少輔が城主を務めたが、元亀3(1572)年の木崎原の戦いで両者とも島津義弘との戦いで戦死する。天正15(1587)年の九州攻めの後、島津義久によって日向を追われた伊東義祐の次男である祐兵が10年振りに日向の一部を治める大名として復活し、清武城も伊東氏の手に戻った。清武城は川崎駿河守祐長が城主となるが、失脚すると稲津掃部助重政が城主になる。その後、川崎駿河守祐長が城主に返り咲き元和元(1615)年の一国一城令で廃城になった。
参考文献:宮崎県の地名、宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ、九州の名城を歩く 宮崎・鹿児島編
感想:空堀は遺構として良かったですが、他は畑を見て廻っているような感覚でした。