兼重神社(腹切っどん。江田式部小輔家定の墓)

●兼重神社
住所:宮崎県都城市山之口町花木1646 (字 門田)
駐車場:なし

 南北朝時代、肝付兼重は菊池武光らと共に南朝に味方し高城(月山日和城)を守り、王子城(松尾城)を築城して部将に守らせた。延元4(暦応2,1339)年、北朝の足利尊氏の命で畠山直顕、島津貞久が王子城を攻撃。肝付兼重は救援に向かったが敗退し兼重も危険な状況となる。そこで家臣の江田式部小輔家定が敵の前で兼重と偽り腹を切ったことで兼重を逃がすことに成功した。
 境内にある五輪塔が家定の墓だと伝わる。

(鳥居)
鳥居

(家定の墓だと伝わる五輪塔。水輪に袈裟がけに刀傷があり「腹切っどん」と呼ばれている)
五輪塔

(境内にある五輪塔群)
五輪塔群

(社殿、というか祠というか・・・。祭神はどの参考文献にも載っていなかったが肝付兼重なのだろうか)
社殿

(全景)
全景

参考文献:宮崎県の歴史散歩、山之口町史 町制施行十周年記念、日向の伝説、日向国諸県の伝説、宮崎県大百科事典、やまのくち(山之口地区まちづくり協議会)

感想:本によっては江田家定が王子城の上原長門守になっていたり、畠山直顕と島津貞久が高城を攻めた時の話になっているなど、伝承にいくつかのパターンがあるみたいです。