●日向 門川城(狗山城)
住所:宮崎県東臼杵郡門川町門川尾末(字 城山)
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、空堀、竪堀、掘切、土橋、虎口
標高:23メートル/比高:14メートル
東が丘陵に続いているため掘切で遮断し他の三方は水田(おそらく当時は湿地帯)に囲まれている。築城年代は文明年間(1469~87)という伝承があるが、『日向記』には財部土持氏が所有していたが長禄元(1457)年に小波川の戦いで伊東氏に敗北し譲ったとあり明確ではない。
伊東氏の城になると重要拠点である「伊東四十八城」及び、塩見城、日知屋城と連携して機能した「日向三城」の一つとなった。永禄年間(1558~70)には伊東氏の家臣・米良四郎右衛門尉が城主だったが、天正6(1578)年に高城・耳川の戦いで島津義久が勝利すると家臣の伊地知丹後守重政が入る。天正15(1587)年の九州攻めの後に高橋元種が延岡地方の藩主になると元種の城となり、元和元(1615)年の一国一城令で廃城になったという。
(南東にある縦長の曲輪(三の丸)。今は果樹園(?)になっている)
(二の丸の更に一段下にある曲輪。ここは他より竹藪がひどく満足に見ていない)
参考文献:宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ、九州の名城を歩く 宮崎・鹿児島編、宮崎県の地名、現地の案内板
感想:訪れた際、たまたま山の所有者で米良四郎右衛門尉の子孫という方に入山と駐車の許可をもらい、麓の畑の所有者の方には城の歴史を教えてもらいました。
「今は木があって見えないが南の島津氏に備えて南側がよく見えるようになっていた」
そのように教わりましたが、土持氏から見て南の伊東氏が警戒すべき勢力だったから、その時から南側を警戒していた造りになっていたのではないかと勝手に推測しています。