伊東祐堯公墓(戦国時代の伊東家の地盤を固めた武将)

●伊東祐堯公墓(伊東家墓所)
住所:宮崎県宮崎市清武町加納(字 甲)
駐車場:不明

 宮崎市指定史跡。伊東祐堯は日向伊東氏の本宗家の当主で都於郡城を本拠地として、曾井氏や財部土持氏などに勝利し伊東氏の庶流も武力で統合して勢力を広げていった。文明17(1485)年、飫肥の島津氏攻撃に出陣する息子の祐国を見送った後、清武城で病死している。戦国時代の伊東氏の地盤を作った英雄だった。
 中山寺跡の西側に墓が建っている。

(入口)
入口

(墓地にある削平地。最初は清武城の一部かと思ったが離れているので寺跡か。寺号は不明)
削平地

(伊東家墓所。祐堯の墓以外に、祐国の墓と大永4(1524)年に建てられた供養塔や他の伊東家の一族、家臣の宮田氏の墓の七基が建つ)
伊東家墓所

(中央が祐堯の墓で、向かって左が祐国の供養塔。右は祐国の子・尹祐の墓)
祐堯らの墓

参考文献:宮崎県の地名、宮崎県の歴史散歩、戦国人名事典、清武町史、現地の案内板

感想:このような名将がいたことを参拝して初めて知りました。清武城の向かいにあるので一緒に行くと良いでしょう。