日向 飯野城(鶴亀城、亀城。島津義弘の居城)

●日向 飯野城(鶴亀城、亀城)
住所:宮崎県えびの市原田(字 城内、桜馬場)
駐車場:あり
遺構:曲輪、土塁、竪堀、石垣
標高:302メートル/比高:28メートル

 市指定史跡。川内川の北岸の丘陵上にあり周囲は急峻な崖になっている。永暦元(1160)年、真幸院の郡司だった日下部重貞が築城したと近世に編纂された『三国名勝図会』にあるが同時代の史料にはない。
 南北朝時代になると北原氏が城主となり、永禄7(1564)年からは島津義弘が城主となって天正18(1590)年大隅の栗野城に移るまで居城としている。島津家の真幸院(まさきいん。えびの市、小林市、西諸県郡高原町一帯)支配の拠点で、肥後の相良氏と日向国内の伊東氏に睨みを利かす要衝でもあった。
 島津義弘が大隅に移った後、しばらくして廃城になった。明治10(1877)年の西南戦争では官軍が城址を占拠して川内川対岸の西郷軍と一ヶ月間戦闘を行っている。現在は亀城公園になっている。

(大手門跡。場所は下の縄張図の右下の箇所になる。この先に駐車場がある)
大手門跡

(本丸への道。えびの市は島津義弘の大河ドラマに力を入れているようだ)
本丸への道

(虎口)
虎口

(本丸。北東隅には「お城荒神」が祀られていたらしい)
本丸

本丸

本丸

本丸

(本丸の南にある枡形。土塁があった)
枡形

(枡形から南を望む。麓に流れるのが川内川)
南を望む

(枡形から登った場所にある物見曲輪)
物見曲輪

(枡形から下った場所にあった曲輪)
下った場所にあった曲輪

下った場所にあった曲輪

(本丸から南東に行ったところにある曲輪)
本丸の南東の曲輪

本丸の南東の曲輪

(本丸と三の丸の間にある搦手門跡)
搦手門跡

(三の丸。登り口がなく直登し降りも大変で曲輪も未整備だった。写真では伝わらないと思うが進むのすら大変な状況だった)
三の丸

三の丸

三の丸

三の丸

(二の丸。三の丸で疲れたので奥まで行っていない)
二の丸

参考文献:宮崎県の地名、宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ、九州の名城を歩く 宮崎・鹿児島編、宮崎県の歴史散歩、えびの市埋蔵文化財調査報告書第45集 えびの市の城館跡、小林市史 第2巻、飯野町郷土史

感想:本当に大手門跡の先に駐車場があるのだろうか、と疑って恐る恐る行きましたが思っていたよりも広い道と駐車場でした。

(縄張図。クリックすると別タブが開きます)
縄張図


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