八幡神社と北郷蔵人の墓(高城・耳川の戦いの戦死者の墓)

●八幡神社と北郷蔵人の墓
住所:宮崎県児湯郡木城町高城110-2(字 下鶴)
駐車場:境内に駐車可?

 八幡神社の祭神は応神天皇。大分県の宇佐神社を勧請して創建したと伝わる。
 北郷蔵人の墓は木城町指定有形文化財。天正6(1578)年、高城・耳川の戦いで島津義久軍の北郷蔵人は下鶴地区の農民から物資を調達せず農地も荒れないように戦い、大友宗麟軍の右松四郎左衛門と差し違えて戦死した。
 そのことに感謝した村人は遺体を川から引き揚げて当地に葬り、寛延2(1749)年に楠木の下に墓を建て、昭和52(1977)年の四百年祭の際に今の場所に移転している。
 毎年7月8日に北郷蔵人祭が催され読経による墓前祭と会食による供養が行われた。会食の際、飯は高盛(椀に飯を高く盛ること)とし会の参加者が認めるまで飯をつがれ残さず食べるという忠士の飯(忠士→つぐのを中止という意味だと思われる)が決まりとしてあった。

(八幡神社)
八幡神社

八幡神社

(北郷蔵人の墓(戒名・忠心院孝山源清居士)。向かって右は大正15(1915)年に下鶴地区の青年会が建立したもので、左が江戸時代からの墓碑になる。左は裏が摩耗して読めない・・・)
北郷蔵人の墓

北郷蔵人の墓

参考文献:木城町古社寺めぐり、現地の案内板

感想:現在、忠士の飯は行われていないようです。