若狭・丹後史跡巡り2008(3日目:天橋立・宮津城・一色稲荷社・武田元明の墓)

 平成20年3月25日(月)、京丹後市で目覚める。最初は細川ガラシャの隠居地に行こうと思って、ここにホテルを取ったのだが、地図を見ると危険な臭いがする・・・。道は狭く、他の方のブログでも「行くのに苦労した」との記述が目につく。
 もう道に関しては無理はしないと決めていたので、近くにあった吉原山城に行った。でも、現場に行ったものの登る体力がすでに残っていなかったので、麓の陣屋周辺を撮影するにとどまり去った。

(峰山陣屋)

 次はいよいよ、いよいよメインの天橋立に向かう。25年ぶりだあ・・・。前は父親がずっとビールを飲んでいたことしか記憶になく、まったくどんなところか覚えていない。
 車で朝の9時半には駐車場に到着。さすが平日の朝、駐車場がガラガラ。そこからリフトに乗って展望台に移動。さらにバスで成相寺に上がる。上がる最中、バスの運転手から丹後の戦国時代について教わった。やっぱりどこの地方でも歴史があるなあ・・・。
 バスを降りて弁天山展望台に行くと。・・・やはり日本三景は違うなあ。絶景ですわ。ここまで車で来られたというショックな事実も知ったけど、そんな細かいことも吹っ飛んだくらいの景色だった。

(天橋立。霞んでいない日は遠く能登半島まで見えるらしい。にわかには信じがたいのだが・・・)

(成相寺)

 風景を楽しむとバスでリフト乗り場まで降りる。そして有名な股覗き(逆さ見)のポイントでの撮影を行なう。

(こんな感じ。これで天に橋がかかるように見えるので、天橋立と呼ばれている。当然、逆さには撮っておらず写真を180度回転させただけ。写真を見ているだけで酔いそう・・・ーー;)

 撮影が終わるとリフトを使って地上に降りる。

(リフトから撮影した天橋立)

 これで天橋立は終わり・・・ではなく、今いる傘松公園から反対側の智恩寺方面に廻って、天橋立を歩いてみた。
 入り口の智恩寺に行くと鉄砲の名手・稲富一夢斉の墓があった。知らなかった。思わぬ収穫だ・・・。

(稲富一夢斎の墓。供養塔の可能性もありとのこと)

 それからぶらぶらと天橋立内を歩く。あ~、海が綺麗だな。空も綺麗だなあ。そんなこと感じながら歩いていると、目的地の「岩見重太郎仇討ちの場」に到着。ほとんど誰もいないので、じっくりと撮影する。

(岩見重太郎仇討ちの場。薄田隼人正兼相と同一人物説があるらしいが、かなり怪しい)

 天橋立は全長3キロもあるので、仇討ちの場があった1キロ辺りで引き返した。
 これで観光はおしまい。再び史跡巡りに戻る(ってここも史跡か?)。宮津市内に行き、まずは宮津城に行く。とは言っても残っているのは宮津小学校にある太鼓門だけ。学校の人に許可をもらって中から撮影。小学校の外からも撮影できたけど、道が複雑で行き方が分からなかった。

(宮津城の太鼓門。補修もされていないのかボロボロ。案内板もないし・・・TT)

 次の大久保山城に向かうため、車でうろうろしていると偶然、一色義清が自害した場所である一色稲荷社を発見!すぐに車を停めて撮影する。

(一色稲荷社。案内板を見ると義清・義定が混同していて誰がここで自害したのか分からない。殺された経緯の内容は義定だが、碑の名前は義清。う~ん・・・)

 そんな一色稲荷社を後にして大久保山城の近辺(だと思う)に到着。しかし正確な場所が分からず、近所の人に聞くが、何となく違うっぽい。結局、自分の勘を頼りに行ったら案内板を見つけた。当たりだった。

(大久保山城。現在は桜山児童公園になっている。短期間だがここで細川忠興とガラシャが暮らしたらしい)

 続いて宮津市から南下して舞鶴市に戻る。田辺城はもう見たので、建部山城に行く。ここも山城で面倒くさかったので、麓の安寿姫塚まで行って終了。何度も言うけど、二日間も山城登ったので体力がなかった><

(建部山城・・・だと思う)

 これで丹後・丹波の旅は終了・・・だけど、帰る前にもう一箇所だけ行きたいところがあった。それは滋賀県高島市の宝幢院にある武田元明の墓。場所は宮津市とまったく違うけど、どうしても行ってみたくて。
 高速道路と下道を使って16時頃に宝幢院に到着。きちっと案内板もあったのでお墓を探さなくてもすぐに行けた。お墓は今の檀家さんのお墓とは違う場所にあって荒れ果てており、時代の流れを感じた。

(武田元明の墓。武田元明は本能寺の変の混乱に乗じて領地の若狭を回復しようとしたが失敗した悲劇の武将。ってこの手の武将は戦国時代では珍しくなったのだろうけど)

 旅行に行く前に武田元明の墓を調べている時、「ダークオーラを感じる」と書いているサイトがあったけど、現地に行ったら私はそれよりも悲哀を感じたな。人って他人から忘れられるのが一番辛いと思うんだよね。だから、前も言ったけど、こうやって忘れられないように紹介してあげるのが一番の供養だと思うんだけどな(これは私の勝手な考え)。
 これで本当に史跡巡りは終了。そのまま高速道路に乗って愛知県に帰った。

感想:3日目で次の日は仕事だったので無理がないスケジュールで動いた。そのため、大した数は行けなかったけど仕方がないかな。天橋立を写真に撮ったのでこれで日本三景の撮影を達成。武田元明の墓は近くを通ったら是非行ってあげてくださいm(._.)m

写真の提供についてはこちらをクリック


若狭・丹後史跡巡り2008(3日目:天橋立・宮津城・一色稲荷社・武田元明の墓)」への5件のフィードバック

  1. >shin-iwataさん

    宮津城の太鼓門、修復されてしかもみんなが見られる場所に移築されたんですね。私も「あの状態はちょっと・・・」と思っていましたので、嬉しいです^^

  2. 宮津小学校内の太鼓門は現在修復され、正門に移築され、登校の際、児童が毎日利用しています。非常にうれしい限りです。保存だけではなく、利用できなければ意味がありません。

  3. >キヘイジさんへ
    >名前の混同はよく見られますよね。
    これって歴史好きが良くぶつかる壁ですよね。分からないまま書かれるとどうしてよいのやら・・・ーー;
    ある程度分かって書いているならともかく曖昧に誤魔化されると一番困ります><

    武田元明のお墓はきちんとしていましたよ。見た感じ、近年に修復された可能性がありますが。ただ風雨で案内板の文字が読めなくなってはいました。
     ここはそんなに往来の激しいところではないので、忘れられていくのかな、っていう感じがしたので、ブログに載せた感想を書きました。

    >偶然の発見なんてあるんですねー。
    私は歳のせいか史跡に行く際は本を中心に調べてネットはあまり活用しないんですよ。基本的にネットってサブで使うならいいんですけど、メインで使うものではないと思っているので。
    それでサイトにしか載っていないような史跡を見逃してしまうことが結構あるんですよね。

  4. 天橋立、まだ行ったこと無いんです。キレイですね。日本三大名所ですから、いつか行ってみたいなあ・・。

    宮津城の太鼓門・・。寂しいですね・・(ToT)案内の立て札とか無いと通り過ぎてしまうか、誰かの屋敷跡と思われてしまう・・・。

    稲富一夢斎のお墓がこちらにあるのは知らなかったです。

    旅はいいですね~☆お疲れ様でした。

  5. 名前の混同はよく見られますよね。史料を編纂する際に矛盾があっても、勝手に解釈せずに矛盾のまま書き記しているからですかね?
    武田元明のお墓、失礼ですが意外に立派で驚きました。
    やはり家柄によるものでしょうか。

    筑後川さんほどたくさん史跡巡りを経験しても、偶然の発見なんてあるんですねー。いや、逆に、たくさん経験しているからこそそういう偶然に巡り会えるのか。

    何はともあれ、お疲れさまでした〜!

柳葉すくも へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA