●土佐 内田城
住所:高知県安芸郡東洋町野根(字 内田)
駐車場:なし
遺構:曲輪、竪堀、横堀、掘切、土塁、石塁
標高:128メートル/比高:109メートル
築城年代、築城者ともに不明。土佐と阿波の国境近くに位置し南には野根川が流れている。伝承によれば、内田城の麓には平家の落人が来住し、集落を築いたとされる。延文年間(1356~61)、野根に地頭の惟宗長盛がいたと伝わる。
戦国時代になると惟宗(野根)氏が東洋町の甲浦および野根を支配し、内田城も支配下にあった。『土佐物語』によれば、天正2年(1574)7月15日に惟宗国長が男女を集めて野根の下屋敷で宴を催していた際、長宗我部元親の家臣が野根城に忍び込み乗っ取った。これに驚いた国長は戦うことなく逃亡したと記されている。内田城もこの時に落城したものと思われる。地元に伝わる白米伝説(※1)も、この時の出来事に由来すると推測される。
現在残る内田城の遺構は、天正2年(1574)以降に元親が織田信長や豊臣秀吉の軍勢による阿波方面からの侵攻に備えて、改修した可能性がある。
※1 水不足を敵に悟られぬよう、馬を白米で洗ったという伝説。全国に存在する
(やがて竪堀1に出た。幅が広い・・・。場所は下にスクロールすると出てくる概略図を参照)
(曲輪8。曲輪の先端に土塁らしき盛り土があったが、生えた木が土を盛り上げた後に倒れて無くなっただけか・・・。ビニール袋が落ちていたから地元の方が宴会で使用したのだろうか)
(曲輪7。正確には曲輪群7になる。写真より先にも曲輪があったが帰りに行こうと思っていて、結局別の道で下山した。ここにも現代の宴会の跡があった)
(曲輪1。標高がもっとも高く主郭になる。東にある盛り上がった箇所は櫓台跡かと思ったが、小さすぎるか)
(曲輪1の背後にある大堀切。降りるのを躊躇したくらい急斜面だった)
(二重の堀切。この後、大掘切を登ることができるとは思えなかったため、掘切を少し降りて城の東側を回って下山した。渓谷(川?)が見えたが、危険な雰囲気がしたので、そちらに降りるのはやめた)
参考文献:高知県の地名、土佐の山城、土佐名勝志 訂正第3版、土佐物語、四国の名城を歩く 愛媛・高知編
感想:遺構が素晴らしいと聞いていたので行ってみました。
高知県の山城は長宗我部が好きなのと、竪堀と掘切が見事な遺構が多く二重で楽しいです。