●大野家源内奮戦跡(大野家源内槍掛けの松跡)
住所:高知県室戸市佐喜浜町(字 湊ノ上)
駐車場:なし
大野家源内は先祖が伊予国浮穴郡久万庄の大野家城主だと伝わり、佐喜浜地区の領主であり大工の棟梁でもあった。
天正2(1574)年秋、安芸国虎を滅ぼした長宗我部元親は更に東部に侵攻する。そこで大野家源内左衛門ら安芸郡東部の連合軍は中山越(高知県室戸市羽根町)で迎え撃ち、元親自身が槍を振るうほど追い詰めたが最終的には撃退された。やがて東部の領主は次々と城を落とされるか降伏し、連合軍の盟主だった源内左衛門だけが残る。
天正3(1575)年3月、元親は佐喜浜に攻め込むと「ここにても源内、かしこにても源内とて度々手答えしたる奴なので、この度佐喜浜の者とならば犬迄も逃さず斬り捨てろ」と兵に命じた(『元親記』)。居城の佐喜浜城での籠城戦は不利とみた源内左衛門は打って出て奮戦。しかし、佐喜浜の港にあった蛮堂(えびすどう)の前の松に槍を掛け小休憩をした後、長宗我部軍の沢田太郎右衛門と対決して敗れ戦死し、佐喜浜の軍勢は総崩れとなり敗北する。そして、長宗我部軍に佐喜浜地区の住民は老人や子供も含めて殺され、二十人余りしか生き残らなかった。
松は昭和6年(1931)に倒木し蛮堂も移転された。現在は「佐喜浜城主大野家源内奮戦跡」の碑が建っているのみである。
(碑と漁港。長宗我部元親による撫で斬りがあった村も今は静かで、高品質で美味しい魚が水揚げされることで佐喜浜港は知られているそうな)
参考文献:高知県の地名、佐喜浜郷土史、長宗我部元親 50年のフィールドノート、土佐偉人伝、土佐史談164号、田舎マップ
感想:国道55号から入って直ぐのうえ、道が狭いので路上駐車はやめましょう。