●野根備後守惟宗太郎左衛門尉益長の墓
住所:高知県安芸郡東洋町野根甲(字 地蔵前)
駐車場:なし
「明巌心鏡 大永六丙戌年十一月廿六日」と刻まれた宝篋印塔。長年にわたり、誰の墓か不明で「偉い人の墓」などと伝えられてきたが、昭和時代後期になって野根備後守惟宗太郎左衛門尉益長の墓だと判明した。
益長は現在の東洋町の甲浦および野根地区を支配した領主で、大永6年(1526)に死去。法名は「前備前守太守明巌心鏡」で、益長が開基した城福寺に位牌が安置されている。
(中央の宝篋印塔が益長の墓。向かって右の石塔は調べていない)
参考文献:土佐史談 第163号、戦国・織豊期の社会と文化
感想:GoogleMAPに表示されていたので参拝しました。入口は下の地図を参照してください。