●土佐 畑山城と畑山氏居館跡
住所:高知県安芸市畑山(字 地蔵田乙、ナロ乙)
駐車場:なし
遺構:曲輪、掘切、土塁(居館跡はなし)
標高:240メートル/比高:71メートル
西には安芸川の上流である畑山川が流れ、天然の濠としての役割を果たすとともに、畑山村で伐採された材木を太平洋側へ輸送する水路としても利用されていた。
畑山氏は安芸郡の地頭・安芸実信の次男である康信が、正応元年(1288)に家を興し本拠地であった畑山村の地名を姓としたことに始まる。以後、畑山氏は安芸氏の重臣として仕えた。
永禄12年(1569)に安芸国虎が長宗我部元親に敗れ自害すると、畑山元氏と二人の息子の畑山実忠・畑山元康は、国虎の長男・千寿丸を伴い、阿波の三好家を頼って落ち延びている。
その後、実忠と元康は元親に許されて土佐に戻るが、かつての本拠であった畑山村を領有することは叶わなかった。元康は長宗我部氏の改易後、山内氏の時代になると畑山村の庄屋を務めている。
(居館跡。畑山小学校が建っていたが廃校になり、畑山創作の里になっている。遺構は不明)
(居館跡から畑山城に向かう道中には散策の順路の標識があるが、それでも迷う箇所がある。登山道は平成30年(2018)の土砂崩れの影響か落石が多かった)
(登山道を登っていくと掘切1に出る。登山道と掘切の境目が分からなかった。場所は下にスクロールすると出てくる概略図を参照)
(西の堀切3。以前は明確だったようだが、今は植物に覆われていてよく分からなかった)
(畑山川。吊橋が架かっており、一人だったため飛び跳ねて揺らして遊んでいた)
(畑山地区を出て室戸市に行った際に食べた「SADAMARU BURGER」)
参考文献:高知県の地名、安芸市史 歴史編、安芸市史 概説篇、安芸市史 民俗篇、現地の案内板
感想:城郭放浪記さんのサイトの縄張図を参考に登りました。
安芸市栃ノ木から県道210号を川沿いにひたすら北上すると畑山地区に着くのですが、離合できない箇所が多いため、運転に自信のない方は行かない方がいいです。