●五社神社
住所:高知県安芸郡東洋町白浜(字 森ノ下)
駐車場:不明
表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長足姫命、明神忠右衛門信勝の五神が祀られていることから五社神社と呼ばれる。
忠右衛門は長宗我部家に仕え大坂夏の陣で活躍したが、陣後は土佐の甲浦(東洋町甲浦 )に移り住んだ。寛永9年(1632)、土佐藩主の山内忠義に忠右衛門が大坂夏の陣で勇将・山田三郎左衛門を討ち取ったことが耳に入り仕え、不毛の地であった東洋町白浜を与え開発を命じる。忠右衛門は開発を成功させるため「浜之日高」を社に模したが、成果が現れた寛文9年(1669)に社殿を建立した。
寛保2年(1742)、土佐藩主の山内豊敷が参勤交代の折、天候不順の船待ちのため白浜に立ち寄り五社神社に参拝したところ天候が回復した。そのため、社殿の修復を行ったと伝わる。
近世までは五社大明神と呼ばれていたが、明治維新後に五社神社に改称した。
参考文献:高知県の地名、長宗我部元親 50年のフィールドノート、土佐史談212号、高知県神社誌、高知県人名事典
感想:明神忠右衛門の墓の場所は、はっきりと覚えていないので適当です。
写真を見てもらうと分かる通り、みこしとダンジリのけんか祭り(五社神社祭)の準備中に行ったため、地元の方がピリピリされていました。