斗賀野城(米森玄蕃の居城)

●斗賀野城
住所:高知県高岡郡佐川町西組(字 弓場、ニノヘ)
駐車場:なし

 二ノ部城とも呼ばれる。寛正3(1462)年、土佐守護代(又守護代とも)の大平氏の一族が当地の代官に任じられて米森氏を名乗った。翌年、津野氏の侵攻を阻止するため築城されたと思われる。元亀元(1570)年、長宗我部元親への降伏を是としなかった城主・米森玄蕃は長宗我部軍に攻められ南門大木戸の辺りで戦死した。その後、城攻めで功のあった元親の家臣・安並但馬が入ったが、米森氏を慕っていた領民に攻められ落城している。
 現在、城址の本丸と思われる部分には八幡宮が建っている。八幡宮には「八幡神社の氏子が出兵した際、敵の弾が飛んできたが氏神が正面に立ち弾が外れた」という伝承が残っているが、どの戦いの時のことかは不明である。

(全景。見ての通りの独立丘)
全景

(山頂にある八幡宮の鳥居)
鳥居

(八幡宮の拝殿。ここが本丸跡だと思うのだが…)
拝殿

(南門大木戸跡には昭和8(1933)年に建立された米森玄蕃戦死之跡の碑がある)
米森玄蕃戦死之跡の碑

感想:周囲の道が狭く車を駐めるところが無かったため苦労しました。入口も分かりづらく地元の方に聞いてやっと辿り着きました。
 土佐史談72号には斗賀野村伏尾(佐川町西組の字下伏尾?)が斗賀野城ではないかとありましたが、どこなのか分かりません。