土佐安芸城(安芸土居、安芸氏の居城)

●土佐安芸城(安芸土居、安芸氏の居城)
住所:高知県安芸市土居
駐車場:あり
遺構:曲輪、土塁、堀切、濠
標高:39メートル/比高:25メートル

 安芸平野の中央の位置し東に安芸川が流れる。蘇我赤兄(そがのあかえ)の子孫を名乗る安芸氏の居城で延慶元(1308)年に安芸親氏が築城したと伝わる。戦国時代になると西に侵攻する安芸国虎が東から侵攻してきた長宗我部元親と激しく争うが、永禄12(1569)年に安芸城を落とされ国虎は自害した。その後、元親の弟・香宗我部親泰、元親の四男・盛親、家臣の岩神氏が入っている。
 慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで長宗我部氏が改易され山内一豊が土佐を支配すると、家臣の五藤氏が当地に安芸土居を築いた。現在は遺構内に歴史民俗資料館などが建設されている。

(安芸土居の食い違い虎口)
虎口

虎口

(濠)
濠

濠

(後藤家顕彰碑)
顕彰碑

(後藤家を祀る藤崎神社)
藤崎神社

(安芸城の三の段)
三の段

(安芸城の二の段)
二の段

(虎口?)
虎口

(安芸城の主郭。土塁があった)
主郭

主郭

(北の段)
北の段

(安芸城から見た安芸市の街並み。右側はかつて川だったような雰囲気がある)
安芸市の街並み

(毒井戸跡。『土佐物語』には安芸城攻めの最中、元親に内通した横山民部が毒を投げ込み落城を早めたとある。後ろに見えるのが歴史民俗資料館)
毒井戸跡

感想:安芸城を落とした香宗我部親泰が安芸氏に改姓しようとしたが、香宗我部一族や家臣に止められて安芸守を名乗ることにしたという話を読んだ記憶があります。しかし出典を覚えていないです。



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