四国一周史跡巡り(7日目前半:土佐神社・隼人神社・比江山城・津野親忠の墓)

 平成20年5月2日、旅立ってもう一週間かあ・・・。このままあと1ヶ月くらい四国にいてゆっくりと史跡巡りしてもいいような気がしてきた。
 ちなみに高知市が少ないですが、2年ほど前に来たので(高知県史跡巡り2006)、前回行けなかったところを廻った。

64:土佐神社・・・高知県高知市一宮にある。土佐一宮にあたる格式の高い神社で、長宗我部元親が本殿・幣殿・拝殿を再建した。
 が・・・その再建した幣殿・拝殿が修復中だった。雲辺寺に続いてがっかり。また来よう・・・。

65:隼人神社(田邊島神社)・・・高知市大津乙にある。長宗我部氏の重臣で勇将として名高い福留親政・儀重を祀っている神社。戦時中は、ここで出征する方の無事の帰還を祈ったそうだ。
 ここもよくある住宅街の中にある神社という感じでだった。

66:谷家の墓地・・・南国市岡豊町八幡米ヶ内にある。長宗我部家に仕え活躍した谷忠澄を先祖とする谷一族の墓がある。
 残念ながら後で忠澄の墓は高知県幡多郡黒潮町入野1438の長泉寺にあるらしいことを知った。今度行けたら行こう・・・。

67:香川親和の墓・・・南国市岡豊町八幡岡豊山。高知県歴史民俗資料館に向かう途中にある。看板があるので、そこから下っていけば行ける。香川親和は長宗我部元親の次男で、戸次川の戦い後、後継者問題を気に病んで亡くなったという。
 「看板があるのに分からない」という話を良く聞きますが(私も前に行った時そうでした)、看板を信じてそばにある階段を下れば必ずあります。諦めないで!
 肝心のお墓ですが、土佐国主の息子の墓にしてはこぢんまりしたものでした・・・TT

68:長宗我部氏一族の墓・・・南国市岡豊町八幡にある。国親までの長宗我部一族の墓がある。民家の奥にあり非常に分かりづらい。
 独力では絶対にたどり着けないと思ったので、高知県歴史民俗資料館で詳しい場所を聞いてから行った。間に道がないので気がつかないが、実は香川親和の墓のすぐ近く(車や徒歩だと遠回りになるので、離れているように感じるだけ)。

69:比江山城・比江山神社・・・高知県南国市比江にある。長宗我部一族である比江山親興の居城。親興は吉良親実と共に後継者問題で元親に反対したため自害させられた。比江山神社は比江山城の天守にあり親興を祀ってある。
 道は舗装されていない上に狭いものの神社まで車で行ける。訪れる人もない雰囲気で悲哀を感じた。

70:津野神社・・・香美市土佐山田町神通寺にある。長宗我部元親の三男・津野親忠を祀り、遺体はこの床下にあると言われている。1600年、土佐国主・長宗我部盛親が関ヶ原の戦いで西軍についたため、徳川家に近かった親忠が国主に変わる(もしくは兄弟で国を半分に分ける)という噂が出た。そこで盛親の側近が独断で親忠に自害を強要した(盛親自身の関与説もある)。長宗我部家改易の大きな原因の一つと言われている。
 草が生えて荒れ放題だった。

71:津野親忠の墓・・・上記の津野神社のすぐ北にある。神社が建てられたので、そこにあった五輪塔がこちらに移された。ここにあった霊厳寺に親忠が幽閉されていた。
 こちらは津野神社以上に荒れ放題で、五輪塔も見えるか見えないか分からないくらいの有様で、すぐ近くで農作業されている方に聞いてやっとどれが津野親忠の墓なのか分かった。

(この荒れっぷり。案内板は倒れて違う場所にあるし。香美市さん、整備をお願いします)

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四国一周史跡巡り(7日目前半:土佐神社・隼人神社・比江山城・津野親忠の墓)」への3件のフィードバック

  1. >キヘイジさんへ
    元親と義光ですか。考えてみなかったですが、本人同士に共通点は多そうですね。
    義光も名将なんで、近くの伊達政宗や直江兼続だけじゃなくて彼にも注目が集まってほしいです。

    お家騒動ですが、例え信親が生き残っても、改易まではいかないとしても家臣団の粛清が行われるような悲惨な事態がいつか来たと思います。
    旧体制から新体制に移行する際にはつきものなので・・・。

    >柳葉すくもさんへ
    長宗我部ファンにはつらい現状ですよTT やはり江戸時代に生き残れなかった、というのが大きいですよね。
    >たずねてきてくれてことに、武将たちが喜んでるかもしれませんよ
    私はそう信じていろんなお墓や史跡を廻っています。中には迷惑な武将もいるでしょうが、「忘れられていないんだ」と思って喜んでいる武将もいると思います。

    一度、長宗我部関係の有名どころの史跡をどうしても回ってみたかったので、がんばってみました。
    徳島編も長宗我部関係と蜂須賀関係が半々くらいになっちゃいますが、濃いです。また読んでみてください。

  2. お墓の周りが荒れてたり、小さかったり・・・。(ToT)
    強かった長宗我部氏のお墓もひっそりとしたところにあって、
    忘れ去られてしまうのは悲しいことなのですが、こうやって愛知から筑後川さまがたずねてきてくれてことに、武将たちが喜んでるかもしれませんよ!?

    自分の知らなかった場所ばかりなので、一つ一つ史跡めぐりされてる筑後川さまはすごいなあ!と思いました。(七日目で78ヶ所目!?)現地の方に話も聞きながら・・なんて収穫ですし。徳島編も楽しみにしてます☆

  3. 長宗我部ファンには怒られるかもしれませんが、僕の中で長宗我部氏と最上氏ってだぶるんですよね。
    元親と義光って謀略家のイメージがあって、なんかこう陰があるというか通好みというか、派手じゃないんだけど凄い、みたいな(笑)。
    で、不運が重なった結果、家督を巡ったトラブル(最上家は3代に渡ってますが)で改易されていますし。

    >毒井戸
    司馬遼太郎も、「元親がやった説」で小説を書かれていますよね。

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