高知・愛媛8泊9日史跡巡りの旅2010(7日目前編:戸波城・瑞応寺跡・鳴無神社)

 5月28日(金)、長期滞在していた高知市とは今日でお別れ。愛媛県に向かう。

11.大平氏累代墓所・・・土佐市波介。大平氏は土佐の七雄に数えられたが、脆弱な基盤、文芸に力を入れすぎたことなどから衰退し一条氏に攻められ歴史の表舞台から消えていった。
感想:車で走っていたら偶然見つけた。古びた雰囲気がいかにも滅亡した豪族という感じで朝から切ない気持ちになった・・・。

(五輪塔)


12.戸波城・・・土佐市本村。県道287号の道沿いにある。長宗我部氏の家臣・戸波親武の居城。碑が建っている。城はここではなくこの先にある山らしい。
感想:碑は近くに目立つ建物もないので、すぐに気がつくと思う。

(碑)


13.瑞応寺跡・・・高岡郡佐川町瑞応133。1560年、長宗我部国親の妹・理春尼は兄と夫・片岡茂光を同時に失うと瑞応寺を建立。供養のため盆踊りを始めたのが現在まで続き「瑞応の盆踊り」として伝承されている。
 ここは有名な薫的和尚が7~16歳まで修行した寺でもある。
感想:想像していたよりかなり小さなお寺だな、と思ったら「跡」だった。

(三百五十年祭記念碑とお堂)


14.黒岩城・・・高岡郡佐川町黒原。片岡氏の城。土塁の一部が残っているらしい。
感想:以前は中学校だったが、現在は市民のための広場になっていた。
(案内板)

 ここから次の越知町片岡までは直線距離で1.5キロくらいしかないのだが山があるために通れないので山を回る感じで行く。越知町の市街地を通って片岡地区に入ろうとしたところ、ヘルメットをした男性に車を止められた。
「この前の大雨で土砂崩れがあって時間が来んと通れんです。あと40分ほど待ってもらえますか」
 地区の人は大変だな。大雨の影響がまだあるのか・・・。
 あと800メートルくらいのところだったので、
「待つのは馬鹿馬鹿しいや。その距離なら歩こう」
 ということで、工事されている方に許可をもらって歩いて行った。10分ほどで到着(カーナビによると私の徒歩の時速は4~5キロらしいので距離が1キロ弱ならそんなものだろう)。

15.茶園堂・・・高岡郡越知町片岡。この辺りを治めていた領主・片岡茂光はここで盆踊り会を催した。それは茂光死後、そして片岡氏の滅亡後も続けられ「瑞応の盆踊り」と共に伝承されている。
感想:片岡氏というと四国征伐の際に金子氏の援軍として行ったというイメージしかなかったが、今回の史跡巡りで盆踊りに変わった。

16.妙福寺・・・高岡郡越知町片岡1045。片岡氏の祈念寺。四国征伐で戦死した片岡光綱と、戸次川の戦いで戦死した光政の墓がある。
感想:光綱の墓しか分からなかった。光綱の葬儀でも遺言通り、領民数千人が盆踊りをしたという。本当に盆踊りが好きな一族だな・・・。

(光綱の墓)


 この後に近くの片岡城を探したが見つからず。結局、法厳寺城跡を遠望して終わった。車に戻ると次の目的地へ。

17.鳴無(おとなし)神社・・・須崎市浦ノ内東分鳴無 。祭神・一言主神。「土佐の宮島」と呼ばれる。長宗我部盛親が関ヶ原の戦いの直前に御輿を奉納している。
感想:不安でいっぱいだった盛親さん、26歳の夏。

(鳴無神社の鳥居)


 昼飯の時間になったのでラーメン屋に入ったら須崎市名物の鍋焼きラーメンがあったので食べてみた。
 食事を終えるとすぐに出発したが・・・ここからの移動距離が長かった><

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