高知・愛媛8泊9日史跡巡りの旅2010(3日目後半:田村城・本山梅慶の墓・波川玄蕃城)

7.田村城・・・南国市田村字城。土佐守護代・細川氏の居城。田村東部公民館前に石標、その南に土塁が残っている。1502年に守護代の勝益が死亡し、1507年に守護の細川政元が殺害されると、土佐は争乱状態となってしまう。その中で起きたのが1508年の岡豊落城だった。
感想:石標の周りの草が邪魔だった・・・。

(石標)

(土塁の上に建つ城八幡宮)

8.細勝寺・・・南国市田村1223-1。勝益が1501年に桂昌寺として建立。何度か移転を繰り返している。五代将軍・綱吉の時代に綱吉の母・桂昌院と名前が同じだったため、細勝寺と名を改めた。初代の土佐守護代・細川頼益の墓がある。
感想:犬にやたらと吠えられた印象しか残っていない。

(本堂)

(初代の土佐守護代・細川頼益の墓)


9.本山梅慶の墓・・・吾川郡いの町枝川八代。本山氏は長岡郡の本山を拠点とした国人。梅慶の時代には南下して平野部も手に入れ一大勢力を築いている。
感想:ここはたどり着くのが大変だった!ゼンリンの正確な地図まで貰っていたのにそこに行く道が分からない>< 近所の人に聞きまくって、やっと道をご存じだった女性の方にご案内いただいた。
 というか道かどうか怪しいんだけどねーー;

(行く途中を撮影。左右が斜面になっており、うっかり地面じゃないところを踏むと落ちる可能性がある。まあ2メートルくらいだから大した事故にはならないと思うけど)

 藪をかき分けると到着。お墓の周りは思ったほど荒れてなかった・・・けど、草が多かったので女性の方と一緒に草取りをした。

(本山梅慶の墓。写真の花は近くの「もりたフラワーガーデン」で買ったドライフラワーをお供えした。血縁者ではない墓に行くのに花を持ってくのは初めての経験。縁もゆかりもない方の墓に行くのに何か置いて帰ると管理される方が迷惑されるかもしれないからいつもは持って行かないけど、ここなら・・・と思って。駐車させてもらったお礼もあったし)

 こんな状態だけどお彼岸や命日には本山氏のご子孫や本山町の方が数人来られて供養祭みたいなことをされるらしい。
 参拝が終わると同じ道を帰る。これがまた憂鬱・・・。

(帰り道。いや、こうなっているのは数メートルなんだけどね)


 ご案内下さった女性の方、ありがとうございました!

10.波川玄蕃城・・・吾川郡いの町波川。元親に謀叛を起こそうとした波川玄蕃の居城。謀叛は事前に発覚し玄蕃は切腹、城に残った一族は元親に攻められて滅亡したため廃城になったという。土塁などが残っている。
感想:公園として整備される予定と聞いていたから行きやすいんだろうなあ、と思っていた。確かに上の駐車場は広く整備されていたけど・・・途中の道が狭い上にカーブの連続で苦労した><
 城下の本願寺に一族が葬られていることを後で知った。今、思えば本願寺の看板があったなあ。

(本丸・・・だと思う)

(波川玄蕃城から仁淀川方面を望む)


 この後、うばが森に行こうと思ったけどタイムアウト。前日の雨での土砂崩れも心配だったし。高知ならまた来れるさ。
本日の感想:雨が降らなかったのが一番だった。土砂降りだったらどうしようかと・・・。
 明日からはしばらく史跡巡りはお休みです。

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