鹿児島県史跡巡り2009(4日目前半:野間の関・新納忠元の墓・天堂ヶ尾関白陣跡)

平成21年3月6日(金)、出水市のホテルを出発。今日も天気が悪いなあTT

43.野間の関・・・出水市下鯖町にある。薩摩と肥後の間に設けられた関所で、証文の無い者は絶対に入れなかったという。薩摩藩は他国者の入国に厳しく、頼山陽なども苦労している。
 今はご覧の通り、旧道に復元された門と碑があるだけ。

44.大口城・・・伊佐市大口里城山にある。島津家の家臣・新納忠元の居城。石垣が多少、残っている。土塁もあるらしい。
 場所が分かりづらい。「秋葉神社入口」と書いてある場所が登り口。面倒だったし、雨で足場が悪かったので石垣を写して終わりにした。

45.新納忠元の墓・・・伊佐市大口原田にある。文武両道の名将として知られている新納忠元夫妻の墓がある。江戸時代に忠元を慕って参拝者が多く来たため、近くに忠元神社が建てられた。
 個人的には戸次川の戦いで戦死した長宗我部信親の遺骸を長宗我部氏の家臣が受け取りに来た際、「元親殿の心情をお察しします」と言って涙した逸話が印象的です。忠元は戸次川の戦いの3年前に長男を戦いで亡くしており、元親の心情を察したのでしょう。

(駐車場も完備(土だけど)。今でも訪れる人が多いのかな? 島津家家臣の中でも有名だからね)

46.忠元神社・・・伊佐市大口原田にある。新納忠元を祀るため1843年に建てられた。周辺は忠元公園となっており、市民の憩いの場になっている。
 が、神社の方には誰も来てなかった。

・曽木の滝・・・伊佐市大口曽木にある。東洋のナイアガラらしい。「曽木の滝洞窟きのこ園」ってのがあったけど、入るのはやめた。

47.天堂ヶ尾関白陣跡・・・伊佐市大口田代にある。九州攻めの際、最後まで大口城で抵抗した新納忠元だったが、島津義久の命で抵抗をやめ、ここで豊臣秀吉と会見した。その際、秀吉に対して「主人の命があればすぐにでも敵対する」と言ったという。
 山の中にある。場所も分かりづらい。関白陣跡のバス停から途中まで車で登っていくことができる。ただし駐車場はあまり広くない(まあ何台も停まっていることはないと思うので大丈夫だが)。
 天気が良ければ景色がいいと思う。

48.勝栗神社・・・姶良郡湧水町米永にある。鹿児島神宮の四所別宮の一つとして創建された。文禄の役で島津義弘が戦勝祈願した。
 どこにでもある普通の神社にしか見えなかったが・・・。

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鹿児島県史跡巡り2009(4日目前半:野間の関・新納忠元の墓・天堂ヶ尾関白陣跡)」への4件のフィードバック

  1. >柳葉さん
    忠元の墓地、駐車場の看板はでかいですけど、ここに行くための道が狭いんですよ>< ただお墓は手入れされています。

    曽木の滝は寄った甲斐がありました。

    廻城の入り口にはチェーンみたいなのがありました。しかもその奥の駐車場の入り口にはブロックが・・・。
    ちなみに廻城のある福山町は黒酢で全国的に有名です。そちらのついでに行ってみるのも・・・って城に行くのに付き合ってくれる人は普通いないですね。

  2. 忠元の墓地駐車場の看板、どかーんと立てられていて
    整備もしっかりされてそうですね。(^^)

    曽木の滝、きれいですねー(^^)
    廻城・・、お疲れ様でしたっ(TT)
    看板無かったら本当にわかりにくいですね。竹やぶ?ロープ?

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