香川・愛媛史跡巡り2010(2日目:生駒親正の像・藤尾城・佐料城・藤目城)

 2010年1月10日(日)、高松市のホテルを出る。

11.生駒親正の像・・・高松市錦町の二番丁公園にある。高松市の基礎を固めた生駒親正を讃えて像が設置されている。
感想:像について書いてある石盤を小学生が朗読していた。「親正」の「親(ちか)」が読めたことにびびった。ゲームの長宗我部元親の人気が高い影響なのか、学校で習っているのか・・・。ちなみに黒田如水の「如水」はさすがに読めず「はてな・みず」と読んでいた。


12.藤尾城・・・高松市香西本町465にある。香西氏の居城。佐料城からここに城を移した。1582年、長宗我部軍に攻められ香西氏は和睦。四国征伐後に廃城となった。
 遺構はほとんどなく現在は宇佐八幡宮が建っている。
感想:お百度参りしている方がおられたのが印象に残っている。境内にある駐車場に行く道が狭くて苦労した。しかも本殿への階段と門の間を走らされるし・・・。下に駐めて上がった方が安全だった。

(案内板)

(本殿)


13.勝賀城・・・高松市鬼無町佐料にある。香西氏によって鎌倉時代に築かれた標高360メートルの山城。平時は麓の佐料城におり、勝賀城を詰の城とした。1575年に香西氏が藤尾城に移ったため廃城となる。遺構が良好に残っている。
感想:狭く急な坂道を登ってなんとか登山口に着くが、そこから160メートルも登らないと行けないと知って途中で引き返した。時間が無かったし・・・。

(勝賀城跡登山道)


14.佐料城・・・高松市鬼無町佐料にある。香西氏代々が藤尾城に移るまでの居城。現在は堀が残っているのみ。
感想:勝賀城から降りてきたら偶然見つけた城。なので堀の場所もよく分からないまま終わった。

(城址に建つ神社)


 ここから人と会って話をした後、次の城に向かうが金毘羅さんの近くを通ったために大渋滞に巻き込まれて、かなりの時間を食ってしまった・・・><
15.藤目城・・・香川県観音寺市粟井町竹成にある。1578年、讃岐征服を狙う長宗我部元親によって落とされた。曲輪・堀切・土塁が残っている。
感想:白地城まで直線距離で6キロほど。讃岐侵攻で真っ先に攻撃されたのも納得。

(本丸跡。四国ミニ八十八ヶ所になっている)


 中途半端な時間だったけど本日の史跡巡りはこれにて終了。高速道路のPAで寝た後、家に戻った。

2日目の感想:金比羅さん渋滞で思ったほど史跡を廻れなくてがっかり・・・TT 時間配分を間違えて消化不良気味な史跡巡りとなってしまった。香川・徳島は近いからまた行くかな。

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香川・愛媛史跡巡り2010(2日目:生駒親正の像・藤尾城・佐料城・藤目城)」への2件のフィードバック

  1. 生駒さんの銅像があるとは私も思っていませんでした。地元で慕われている(?)と違いますねえ^^

    「親」を「ちか」と読めたのは、ゲーム・メディアの影響でしょう。学校でも多少は教えているとは思いますが・・・。

  2. おおっ、生駒親正の像なんてあるんですね。
    地方の名君って感じが出てます。

    それにしても、「親」を「ちか」と読むのは凄いなあ。
    やっぱり、メディアへの露出が増えた元親さんの影響ですかね〜。

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