下総結城城(結城合戦の舞台)

●下総結城城
住所:茨城県結城市結城

 寿永2(1183)年、下野の大掾政光の三男・朝光が志田義広の乱の戦功で源頼朝から結城郡を賜り結城氏を名乗る。その際に築城されたというが定かではない。結城氏は南北朝時代には北朝に属して活躍した。永享12(1440)年に鎌倉公方・足利持氏の遺児を奉じて室町幕府と戦うが(結城合戦)、翌年に当城を落とされ没落する。
 その後、再興し戦国時代は佐竹氏などに味方して生き残り、天正19(1591)年に徳川家康の次男・秀康を養子とした。慶長6(1601)年に秀康が越前福井に移封されると当城は廃城になるが、元禄13(1700)年に水野氏が当地を治めると居城として再建され明治維新まで利用された。
 現在は城跡歴史公園として整備されている。

(公園内に建つ聰敏神社の鳥居。水野家の祖・水野勝成を祭る神社で福山市にある同名の神社から文化13(1816)年に勧請された)
聰敏神社の鳥居

(聰敏神社の拝殿)
聰敏神社の拝殿

(城跡歴史公園)
城跡歴史公園

(公園内に建つ結城合戦タイムカプセル埋設記念之碑。結城合戦で落城した嘉吉元(1441)年から600年後の2041年に掘り出される予定になっている)
タイムカプセル

(同じく公園にある水野家顕彰碑)
水野家顕彰碑

(堀の辺りだったと思う)
堀

感想:結城合戦で有名な舞台らしいのですが遺構はあまり残っていないようです。駐車場は祭りの準備をしている方が利用されていて駐めるところが無く苦労した記憶があります。


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