常陸 多賀谷城(下妻城。多賀谷氏の居城)

●常陸 多賀谷城(下妻城。多賀谷氏の居城)
住所:茨城県下妻市本城町
駐車場:あり
遺構:曲輪、土塁
標高:24メートル/比高:0メートル

 下妻市指定史跡。永享12(1440)年、結城氏に仕えていた多賀谷氏は結城合戦に参加し結城氏の敗北によって没落する。だが享徳3(1454)年、古河公方・足利成氏の命で関東管領・上杉憲忠を討った多賀谷家政はその功績を賞され関庄33郷を与えられた。その際、家政は支配拠点として下妻城を築いたという。多賀谷氏は次第に結城氏から離れ、家政の後裔・政経や重経は上杉謙信や佐竹義重と組んで北条氏直に対抗した。
 天正18(1590)年の小田原攻めで多賀谷重経は豊臣秀吉に謁見し旧来のごとく結城氏に属するよう命じられたが、重経は快く思わず佐竹氏に従った。文禄元(1592)年の朝鮮出兵で出陣に消極的だったため領地の一部と多賀谷城を没収され、城は廃城となる。

(公園として整備された本丸跡。公園以外の場所は宅地開発でほとんど失われたらしい)
本丸跡

(家臣の後裔が明治23(1890)年に建てた多賀谷氏遺跡碑)
多賀谷氏遺跡碑

多賀谷氏遺跡碑

参考文献:茨城県の中世城館、下妻市観光協会、新編常陸国誌 巻下、現地の案内板

感想:公園以外の場所に土塁の一部が残っていたようですが確認していません。