瑞甕山根本寺(鹿島家墓所)

●瑞甕山根本寺
住所:茨城県鹿嶋市宮中2682
駐車場:あり

 臨済宗。本尊は聖徳太子の作と伝わる瑠璃光薬師如来。推古天皇の勅命により聖徳太子が根本寺を創建したとされる。当初は三論宗であったが、後に法相宗、さらに天台宗へと変遷した。建久2(1191)年、源頼朝の支援を受け600石が寄進される。弘安4(1281)年、元寇の際には後宇多天皇から銅製の「天下平均、異国帰状」の勅印を受け、祈祷を行った。
 その後、衰微したが貞和2(正平元,1346)年に鹿島城主の鹿島幹寛が再興し菩提寺とする。この時、臨済宗に改宗した。延文3(正平13,1358)年、足利義詮が後光厳天皇の宣旨を受けて仏殿を再興し勅願寺とする。
 慶長5(1600)年、徳川家康が鹿島神宮の神領のうち100石を寺領として割り当てた。元治元(1864)年、水戸藩の天狗党が天狗党事件を起こした際、根本寺が本営となったため、仏具は壊され、仏像は首を斬られて路傍に晒された。幕府軍が迫ってきたため天狗党は撤退したが、伽藍なども破壊され再び衰微した。明治維新後、住民が壊された時の古材を集め小寺を建てるが、老朽化が進んだため、昭和56(1981)年に再建される。

(山門)
山門

(薬師如来)
薬師如来

(本堂)
本堂

(鹿島氏歴代の墓。鹿島氏は天正18(1590)年の小田原攻めで小田原に参陣しなかったため没落。その後、旧臣たちの願い出により徳川家康は鹿島家の遺児である伊勢寿丸を鹿島神宮の惣代行事(鹿島神宮の警護を担当する神官で、鹿島氏が代々世襲していた役職)に復職させた)
鹿島氏歴代の墓

参考文献:茨城県の地名、鹿島まうで、鹿嶋市役所鹿嶋デジタル博物館、現地の案内板

感想:根本寺は松尾芭蕉ゆかりの寺として有名で句碑があったようですが見逃しました。