●常陸 鹿島城(吉岡城)
住所:茨城県鹿嶋市城山1丁目
駐車場:あり
遺構:曲輪、土塁、堀
標高:35メートル/比高:30メートル
鹿島台地の西端が大船津の低地へ突出する丘に位置している。治承5(養和元,1181)年、常陸大掾氏の一族である鹿島政幹が源頼朝から鹿島社惣追捕使に任ぜられた頃の築城されたとされる。以降、鹿島氏の居城となった。鹿島氏は鹿島神宮と深い関係を持ち、応安年間(1368~1375年)頃、神宮惣大行事職(鹿島神宮の警護を担当する神官)に任ぜられ世襲している。
応永14(1407)年、鹿島憲幹が鹿島神宮の領地を横領したため所領を没収されたが、後に返還された。応永24(1417)年の上杉禅秀の乱では鎌倉公方に従い菅谷氏らと戦っている。大永年間(1521~28年)から以降、家臣と当主や一族同士の争いが続き、衰退していった。
天正18(1590)年の小田原攻めで小田原に参陣しなかったため、翌年に佐竹氏に攻められ落城。慶長元(1596)年、修復され佐竹家の家臣である東義久の居城になっている。承応元(1652)年、鹿島神宮大宮司が江戸幕府に願い出て堀が埋められ、新たな町が築かれた。
現在、本丸跡は城山公園として整備されている。
参考文献:茨城県の中世城館、茨城県の地名、現地の案内板、鹿嶋デジタル博物館(https://city.kashima.ibaraki.jp/site/bunkazai/50049.html)、
感想:井戸跡などがあったらしいので、もう少し見ておけば良かったです。