●鹿島神宮(常陸国一之宮)
住所:茨城県鹿嶋市宮中2306-1
駐車場:あり
祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。常陸国一之宮。伝承によれば、神武天皇が東征で窮地に陥った際、武甕槌大神の韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)の神威に救われた。これに感謝した神武天皇が皇紀元(紀元前660)年に当地で祭祀を行い創建したのが鹿島神宮の始まりとされている。
古くから朝廷との関係が深く、大化改新以降に神戸(古代、神社に属して租、庸、調や雑役を神社に納めた民戸)の増設や鹿島郡の成立が行われた。奈良時代に蝦夷地経略とともに鹿島神が国土平定の武神かつ水神として太平洋側を北上し、東北地方や関東地方に広まっていく。平安時代は藤原氏の氏神だったことと蝦夷地経略の進展に伴い神威がさらに高まった。
鎌倉時代になると武甕槌大神が武神だったことから武家の崇敬を受け所領の寄進などが行われたが、一方で社領への掠領も発生した。そのため源頼朝が掠領を停止を命じ、鹿島政幹を乱暴狼藉から守る「鹿島社惣追捕使」に任命した。この鹿島社惣追捕使はやがて「神宮惣大行事職」(鹿島神宮の警護を担当する神官)となり、鹿島氏が世襲している。
南北朝時代になると室町幕府や鎌倉府の庇護を受けるが、永享10(1438)年の永享の乱が起きる頃には武家による社領の掠領が横行し、社殿の造営もままならない状況に陥っていた。天正18(1590)年5月、小田原攻めの最中の豊臣秀吉は社領の狼藉を禁止し、常陸の大名・佐竹義宣も社領を安堵している。近世になると江戸幕府や水戸藩の庇護を受けた。
現在は日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社として崇敬され、茨城県を代表する観光地にもなっている。
直刀黒漆平文大刀拵附刀唐櫃1合(国指定有形文化財)など多数の社宝がある。
(国指定重要文化財の楼門。寛永11(1634)年、水戸藩主の徳川頼房が奉納した)
(国指定重要文化財の仮殿。元和4(1618)年、江戸幕府の2代将軍の徳川秀忠が奉納した)
(天照大御神の命令を武甕槌大神に伝えたのが鹿の神である天迦久神だったことから、鹿が鹿島神宮の使いとされ現在でも大切にされている。また、奈良県の春日大社を創建する際も、鹿島の神様の分霊を鹿の背中に乗せて1年かけて移動した伝わる)
(親鸞上人旧跡。この地には鹿島神宮の神宮寺跡があり親鸞が訪れたと伝わる)
(国指定重要文化財の奥宮。慶長10(1605)年、徳川家康が関ヶ原合戦の戦勝の礼として現在の社殿の位置に本宮として奉納したが、元和5(1619)年に徳川秀忠が社殿を新たに建てるため当地に遷した)
(要石。武甕槌大神(要石)が地震を起こす鯰を押さえ込んでいる)
感想:広かった、くらいのことしか覚えていないです。