常陸 麻生城(麻生氏の居城)

●常陸 麻生城(麻生氏の居城)
住所:茨城県行方市麻生(字 要害、後堀)
駐車場:あり
遺構:曲輪、空堀、土塁
標高:24メートル/比高:21メートル

 行方台地の西に位置し、霞ヶ浦に向かって半島状に突き出した台地の丘の上に築かれていた。城下川が霞ヶ浦に注ぐ河口付近にあり、霞ヶ浦を一望できる場所にある。
 平安時代末期、行方地方は常陸大掾氏の一族だった行方忠幹が支配していた。元暦元(1184)年、忠幹の子の景幹が讃岐で行われた屋島の戦いで戦死したため、所領は4人の息子に分けられる。三男の家幹は麻生地区を領し、麻生姓を名乗った。この家幹が麻生城を築いたと伝えられている。
 以降、麻生氏が城主だったが、天正12(1584)年に麻生之幹が、一族で島崎城主だった島崎安定に攻められ落城した。之幹は江戸崎城主の土岐氏を頼って逃げ、麻生城を奪還しようとしたが失敗したとも、あるいは山中で自害したとも伝えられている。天正19(1591)年、常陸の支配を完全に掌握しようとした佐竹義宣によって島崎氏は滅ぼされ、麻生城は佐竹家の家臣が入ることとなった。
 現在、麻生城の跡は羽黒山公園となっている。

(曲輪、土塁、空堀があった。櫓風のトイレもあった)
麻生城

麻生城

麻生城

麻生城

麻生城

麻生城

参考文献:茨城県の中世城館、茨城県の地名、現地の案内板

感想:城に興味がない時に行ったので、どの辺りを撮影したのか全く覚えていないです。