播磨姫路城(世界遺産)

住所:兵庫県姫路市本町68

 1333年、赤松氏が砦を築いたのが最初といわれている。戦国時代には小寺氏・黒田氏が城主となり、黒田孝高が1580年に中国攻略に来た羽柴秀吉に城を譲った際、天守台が完成した。
 関ヶ原の戦い後は、家康の娘婿・池田輝政が西国と大坂城への抑えとして52万石の大名となり入城。この時、池田氏は姫路城を大改修をしている。池田氏が三代続いた後、続いて入ってきたのが、本多忠勝の長男・忠政である。忠政は長男・忠刻と千姫のために西の丸を整備。これにより現在の姫路城の形ができた。その後を松平氏などが城主となり、酒井氏の時代に明治維新となる。
 維新後、城は不要となり神戸清一郎という人物が23円で落札したが、建物の除去に莫大な金がかかるということで権利を放棄。そのため建物が残った。太平洋戦争では姫路の空襲のときに三の丸が燃えたものの本丸・二の丸は戦災を免れている。1993年には広島の原爆ドームなどと一緒に世界遺産に登録され、世界の姫路城となっている。

(濠)

(三の丸)

(菱の門)

(天守)

(天守から市内を望む)

コラム:城内を解説してくれるガイドさんがおられるんですが、ガイド料が2000円だそうです。私はそれを知らなくてガイドさん付きの家族と一緒に廻っていたら『タダ聞きするな』と注意を受けてしまいました><


写真の提供についてはこちらをクリック


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA