才蔵寺(可児才蔵の墓)

●才蔵寺
住所:広島県広島市東区東山町1-11
駐車場:なし

 真言宗。戦いの時に討ち取った敵の首が重いため、あとで自分の功績だと分かるように首に笹の葉を咥えさせたことから笹の才蔵の異名で知られた可児才蔵吉長の墓が建つ。何度も主君を変えた才蔵だったが、最後は福島正則に仕え安芸に移り慶長18(1613)年に亡くなる。
 生前、才蔵は広島城の東の矢賀山に竹葉軒という山荘を持っており、慶長16(1611)年に出家して山荘跡に才蔵寺を開基していた。そして「死しても広島城の東から来る敵を防ぐ」という遺言通り才蔵寺に葬られている。

(入口にある交通安全災難除地蔵)
交通安全災難除地蔵

(石段)
石段

(可児才蔵の像)
可児才蔵の像

(才蔵の墓の入口。昔はここが峠道だったのだろうか)
才蔵の墓の入口

(入口にある延壽泉(ながいきみず)。通行人の喉を潤したという。割烹料理用に最適の水らしい)
延壽泉

(本堂)
本堂

(才蔵の墓。ここを通る武士で心ある者は馬を下りて水を供え花を手向けたと伝わる。墓碑には中央に「かにさいざう藤原吉長」、左右に「生国尾州葉栗郡楽典郷」「于時慶長十八年十一月廿四日」とある。墓の後ろに生えていた竹(通称・才蔵竹)には脳の病気快復に御利益があった。昭和時代も生前に才蔵の好物だった味噌を供えて祈祷する者が絶えなかったことから、現在はミソ地蔵が建てられ病気の他、受験や就職の合格に御利益があるとのこと。ただし受験や就職に関しては本番の緊張をほぐし自信を持たせて本来の実力を発揮させてやるのみ)
才蔵の墓

才蔵の墓

感想:『広島の史蹟と伝説 第1』によると才蔵寺は明治時代に建った寺で、それまでの可児才蔵の菩提寺は不明だそうです。
 昔、この辺りは才蔵嶺(さいぞうたお)や才蔵峠と呼ばれていた峠だったので坂が多く矢賀駅からキャリーバックを転がしながら参拝するのが大変でした。