●音戸の瀬戸
住所:広島県呉市警固屋、呉市音戸町
駐車場:音戸の瀬戸公園は駐車場あり
呉市の倉橋島と休山(やすみやま)半島との間の水道で、幅が約70~90メートルある。平清盛が日宋貿易と厳島神社の参拝のため、応保2(1162)年に切り開いたと伝わる。清盛が向かい潮で船が進まないことに怒り、海上を睨むと潮が逆流したという伝説から、「清盛のにらみの瀬戸」とも呼ばれていた。
現在では、1日に大小約700隻の船舶が往来している。昭和36(1961)年に音戸大橋が、平成25(2013)年に国内初のの空中ジョイントを成功させた第二音戸大橋が架けられた。
(音戸の瀬戸公園から見た音戸の瀬戸。手前が第二音戸大橋、奥のループになっているが音戸大橋である。自分が呉に住んでいた頃は音戸大橋しかなかったため、そちらに思い入れがある)
(音戸の瀬戸公園にある平清盛日招像。工事できる期間を延ばすため、沈んでいく太陽に向かって扇を振り戻したという「日招き伝説」を元に建てられた)
(県指定史跡の伝・清盛塚。音戸の瀬戸を切り開いた清盛を讃えるため、元暦元(1184)年に建てられたと伝わるが、実際には室町時代の建立と推測されている。また、清盛による開削伝説もその頃に生まれたと考えられる。『輝元公御上洛日記』の天正16(1588)年7月9日の条には「牛ノ刻ニ瀬戸を御舟が出られ、此戸中に清盛ノ石塔これ有り」とある。なお、上の橋は音戸大橋である)
参考文献:広島県の地名、呉市観光情報サイト、広島県公式サイト
感想:この時は左足を骨折しながら回っていたので移動が大変だったのを覚えています。健康の有り難みを感じました。